ほぼエッセイ、ときどき現代の美術とアート。

おもちゃのむらく

まだ暗い早朝、尿意で目が覚めた。用を足して部屋に戻ろうとして、ふと思い出す。

家の近所にあったおもちゃ屋「むらく」のことを。1980年代末から90年代初頭にかけての頃だった。世間はバブルで浮かれていたはずだが、もちろんそんなことは小学校の二年や三年が知るよしもない。

タミヤのミニ四駆に夢中だった。もはや知らない人も多いだろう。単3電池で走るプラモデルの車で、ラジコンのようにコントロールはできず、とにかくまっすぐ進むだけの代物である。

値段はその時分で一台600円だったと思う。ただし、その本体だけで完結して満足する子供は皆無だった。デコレーションするシールやら速くなるモーターやら、とにかくいろんな付属品が売られていた。タミヤのメインの収益は、本体よりもその細々としたパーツ類だったろうことは、大人になって世の仕組みが一通りわかった今なら想像に難くない。

毎日のようにむらくに通った。店の前にはミニ四駆を走らせる楕円形のシンプルなコースが置かれていて、タダで自由に走らせることができた。

そこは広島の片田舎に住む、毎晩ミニ四駆を抱いて眠るような子供にとって、晴れの舞台だった。各々が渾身の作品を、もっと、一心同体と言っても過言ではないマシンを走らせては、速さを競った。勝てば世界でも征服したような気持ちになって息が詰まった。負ければ悔しさと憧れが交差した。

しかし時に、改造に改造を重ねたミニ四駆は、異常なスピードで疾走し、遠心力のままにコースの外に吹き飛んだ。店の前は二車線の車道だった。それで飛び出したミニ四駆は、しばしば車に轢かれ粉々になった。

そこまで一気に思い出して、むらくの店主のおっさんは、つまり、流行りに乗って商売をしていたんだなと、今さらながら気がついた。店の前にコースを設置したのは投資であって、子供も集まるし、それでコースから飛び出てミニ四駆が壊れてくれれば一石二鳥、また買ってもらえるというわけだ。大人になれば、そんな計算は普通で、当たり前である。むしろ商売とはそういうものだ。

今ならわかる。全部わかる。なぜあのコースが店の中ではなく、外に置かれていたのかを。あの野郎! と思わなくもない。「あの野郎!」と、わざと声に出して言ってみる。

おもちゃ屋のむらくはもうない。むらくのような店も、もうない。今どき、あんな業態でメシは食えない。だけれども、あれはいい店だった。素敵な店だった。いや、最高だった。生まれ変わったりしてどうにかなったら、また行きたい。

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