文化のあちら、こちら

  2017/08/22

私は悲しい。期待が裏切られたのだ。しかも通常、期待というものは楽観的に多く見積もっても9割がせいぜいであろう。しかし今回に限っては、私は100%の期待をもっていた。もはや期待ではなく予定である。

そう、私は例年通り、年末年始休暇をどう過ごすか考えていた。しかし勤め先の上司は、なぜだか大晦日あたり目掛けて平然と仕事をふってくる。何かがおかしい。彼らは思い違いをしているのではなかろうか。否、間違っていたのは他でもない私の方であった。

日本ではふつう、12月も27、8日にもなれば仕事納めとなる。そして三が日があり、1月3日までは休みである。その間およそ一週間、だらだらと食っちゃ寝を繰り返し、そうして立派に正月太りをするのが由緒正しい年末年始の過ごし方であろう。

それが、世界共通なのだと思っていた。当たり前過ぎて、海外では違うかもしれないという発想すらなかった。もちろん、私とて海外に住むにあたり、文化の違いというものに対して十分な心構えをしてきたつもりである。しかし、突発的な地震と同じで、いわゆる想定外のことにはなす術もない。

年末年始、年の瀬、師走、大晦日――それらの言葉に、日本人の多くは甘美なイメージを持っているのではないだろうか。少なくとも私はそうだ。それがこちらでは大晦日まで働いて、年が明ければ2日からはすぐ仕事なのだという。私の中のイメージが悲鳴を上げる。これが異文化との衝突というやつかと恐れ入る。宗教の違いとまではいかなくとも、些細な文化の違いでも多分に戦争の火種になり得るだろうと、直感的に理解する。

たとえば今、あの我ら日本人の素晴らしき文化、年末年始休暇を勝ち取るためであれば、私はデモでもなんでも行くだろう。あるいは暴力も辞さないかもしれない。正直、見ず知らずの誰かの人権や生命よりも、私の年末年始休暇の方が百億倍も大事に決まっている。私は生粋の日本人だ。何をするかわからんぞ、とも脅しておこう。

というような穏やかでない感情は、おそらく、あらゆる異文化の衝突の中にある。だからこそ、今この瞬間にもどこかで争いが起きていて、ついに絶えることがない。

話せばわかるというのは一種の幻想である。文化は理解するものではない。ただ甘受し、受容するものである。そもそも文化とは、親の代から祖父母の代から、そのずっと以前から連綿と続いてきたおよそ説明不能なものであって、それがただ単に子に孫に無条件に刷り込まれ、そしてまた続いていくに過ぎない。

なぜ玄関で靴を脱ぐのか、なぜ味噌汁の香りに心落ちつくのか、あるいはなぜ日本語を話すのか。そのような一切は、とても説明できるものではない。理屈ではないのだ。あえて答えるならば、「幼少の頃からそうしてきたから」と、それ以上でも以下でもない。

いっそ文化とは自然の摂理に近い。重力や燃焼といった現象と同じだと考えたほうがいい。なぜ、どうしてそうなるのか? 自分が生まれるよりはるか昔からそうなっているからだとしか言いようがない類のものなのだ。

この世で何より信頼できるのは時間である。その集積である歴史の中で築き上げられてきた人様の文化を、いまいま、ちょっとばかり生きている我々がどうこう言っても始まらないだろう。ただ、そういうものだと知ること、そしてほどよい距離を保つこと。それで十分なのではないだろうか。

相互理解を声高に叫べば叫ぶほど角が立つのは故のないことではない。理解しようとする行為にはしばしば強制や押しつけが入り混じる。たとえば男女の仲で「あなたのことがわからない」と言えば、それは暗にわかるようにしろという意味を含むように。

かように、私はしかと異文化を甘受すべきである。とはいえやはり、日本の年末年始が恋しく、シンガポールのそれに殺意も感じるが、それこそはるか昔から郷に入っては郷に従えと言う。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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