人間の何周目

  2019/10/12

『接客業をしていると年に10人くらいは「人間一周目」と思しき人と遭遇する』

以前、ネットでそんな記事を目にした。面倒な客ならばいくらもいるだろうが、横暴で理不尽、そもそもコミュニケーション不能というようなとんでもない客を「人間一周目」と表現しているのである。どうしようもないけれど、人間やるのはじめてだから仕方がないねというわけである。

素直に響く表現に感心する。同時に、それでは自分は人間何周目だろうかと思う。輪廻転生を信じていようといまいと、けっこう真顔で考えてしまう。

いつの時代にも早熟の天才という人がいるものだが、そういう人は、あるいは人間何十周目だったりするのかもしれない。たとえば21歳で羅生門を書いた芥川龍之介や、24歳で仮面の告白を書いた三島由紀夫は、かるく人間100周目くらいで、今回の人生はこんな感じでやってみるか、というような神の視座のようなものすら感じてしまう。

あるいは逆に、田代まさしなどは、人間15周目くらいでこなれてきてたんだけど、その慣れが裏目に出て、今生を失敗してしまったように思えなくもない。いや、なぜに急に田代まさしという感じではあるが、なんとなく思い浮かんだだけであって他意はないのであしからず。

しかしまあ、どうして、この輪廻転生、ひいては人間何周目という考え方は不思議なほどしっくりくる何かがある。

生きていると、往々にしてとても同い年とは思えない人に出会うことがあるものだ。同じ月日を生きてきて、何を食って何をやったらそうなれるんだというような秀でた人がいる。一方で、おまえはいったいこんだけ時間があって何をやっていたんだというような救えない人もいる。

本人の努力と言えばそれまでだが、それ以前の資質や運に、人間の何周目かが反映されているのではないだろうか。

そうして自分について考えてみると、来世で二桁の大台に、つまり9周目くらいではないかと思う。人間のなんたるかを一応わかってはいるんだけど、わかりきれてもいない。輪廻を脱する解脱も視野に入ってきたが、解脱するにもまだ早い。いろいろと煮え切らず、中途半端な今日この頃、というかこの今生。

それでどうするかと言えば、ひたすらに地道に一生懸命に生きてみる、という結論に落ち着いた。つまり、あれがうまいこれがうまいと美食に熱を上げていた人が、ある日ふと原点に立ち返って、そこらに生えているどくだみを摘んできて煎じてみたりするようなものである。つまり、なんだかんだ言って、基本が一番大事なんだというような達観である。

というのも最近、気取った比喩でも厭世感でもなんでもなく、日々の生活の繰り返しの中で、その先の終着点が見えてきたのである。33歳といえば、一般的にはまだまだこれからだと言われる。しかし、たとえば昨日、日比谷線銀座駅のホームに向かうエスカレーターに乗っているときに、ああ、こうして人生が終わっていくんだなあ、あっという間に消え去ってしまうんだなあと、あと30年くらいの、つまり残り1万日くらいの日々の流れが、非常に具体的な実感を持って感じられたのである。

己の信念に則って60歳で自死したある哲学者が言っていた。彼は50歳くらいで、ある日気づいたのだという。自分の人生の「たかが知れた」と。今までいろんな悲喜こもごもがあった。そしてこの先もまた似たようなことがあるだろう。しかし、それは今まであった悲喜こもごもと同等かあるいはそれ以下でしかないだろう。

私が最近感じているのは、まさにこの”たかが知れた”という感じだろうと思う。夢や希望は無限だが、人生は有限である。そろそろ、無限の夢や希望と、有限の人生との折り合いをつけねばならない時期に来ているのだと思う。

そうしてどうにかこうにか、私らしく何度となくもんどり打って泥臭く折り合いをつけた先に、二桁台の来世が待っている。そんな気がする。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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