健康になろうよ(マッカーサーの目玉焼きから始まる戦後の日本)
2020/06/26
健康になりたい。そう思う人は多い。昨今は健康ブームである。というか、ずっとブームである。
「もはや戦後ではない」というわけではないが、「もはや健康ブームではない」と思う。
いつからこれほど日本人は健康を気にし始めたのだろうか。なにはともあれ、戦後であることは間違いない。とは言っても、戦後すぐの食糧難の中では、誰も健康のことなど考えられなかっただろう。何かの本で読んだが、駐留するアメリカ人が出す残飯でさえ売買されていたという。人々はそのドロドロのゲロのような残飯を買うために並んでいた。そこには嘘か真か、タバコの吸いがらやコンドームが入っていたなどという話もあるらしい。
そのような話がたとえまゆつばものだとしても、そのくらい切迫した食糧事情であったことは確かだろう。現代の「腹減って死にそう」という表現は、そのころ冗談ではなくガチであって、マジで食わねば死んでしまうのであった。
今読んでいる【マッカーサーの目玉焼き 進駐軍がやって来た!―戦後「食糧事情」よもやま話(高森 直史/光人社)】という本には、こんなエピソードが出てくる。
1945年8月30日、マッカーサーが厚木海軍飛行場に上陸し、そこから横浜のホテルに入った。翌日、マッカーサーはいつものように朝食に目玉焼きを頼んだ。ようやくで出てきたのは二時間後で、しかもたった一つの目玉焼きだった。
アメリカでは目玉焼きにしろスクランブルエッグにしろ、二個で一人分が”ふつう”なのだった。そしてなにより、目玉焼きという注文を出されたホテルは大わらわで横浜中を探し回ってようやくたったひとつの玉子を調達してきたのである。そのような出来事が、終戦直後の日本の食糧事情に対するマッカーサーの認識を開眼させたのだという。軍の食糧の現地調達はまずもって無理だと判断すると同時に、日本への大々的な食糧援助、ひいては学校給食の開始にもつながってゆくのである。
なんだかあまりにもできすぎた話なので、コロンブスの卵くらいの感じで面白がっておけばいいのかもしれない。とにもかくにもそれから70年後の現在、我々は毎日のように玉子を食べるようになっている。とりあえず冷蔵庫に玉子が無いと落ち着かないという人も少なくないだろう。
というか、冷蔵庫の構造がすでにそうなっている。現在、”玉子専用”の棚が無い冷蔵庫は皆無である。つまり、玉子はみんな食べるに決まってるよねという話なのである。それは、みんな歯磨きするよねという前提の洗面所の歯ブラシスタンドであり、みんな洗濯機で洗濯するよねという前提の洗濯機置き場のようなものであろう。
つまり、玉子がない生活は、歯を磨かない生活であり、洗濯しない生活と同等なのである。
ちょっと、誰も歯を磨かない日常を想像してみてほしい。唾液分泌の豊富な赤ん坊を除いて、だいたいみな口が臭い。満員電車では正気を保っていられるかどうかの修羅場である。甘いキスなどというものは存在せず、それはむしろ割礼やバンジージャンプのごとく、なんとも痛く苦しいイニシエーションのようなものである。
あるいは、洗濯しない生活。衣服は基本的に黄色いもしくは茶色い、あるいは黒い。変色の激しい部位によって、各々の汗及び皮脂の分泌が激しい場所が丸わかりである。それを隠すために、源氏物語あたりの十二単のごとく、どんどん厚着になる。それから何かとお香を焚きまくる。家でも電車でも会社でもとにかくお香でごまかす。しかし外人は大喜びである。空港に降り立った瞬間、もう匂いというか臭いが違う。Wow! エキゾチックジャパン! という感じである。
こう考えてみると、マッカーサーの目玉焼きに始まる玉子は、日本そのものをひっくり返したのだと言っても過言ではないだろう。そもそも玉子は戦前まで常食などされていなかった。ごくたまに食べられる贅沢品であった。というか、日本人の伝統的なタンパク源は豆類であり魚介類なのである。現在における玉子は、アメリカの食糧援助に始まり、欧米列強に追いつけ追い越せの末に勝ち取った代物なのである。
しかしそれは、ほんとうに手放しに喜んでいいことなのだろうか。毎日のように玉子を食べるのは、ふつうのことなのだろうか。日本人にとって、幸福なことなのだろうか。
多くの日本人にもれず、私もまた一介の”健康バカ”であるが、最近は大きな基準として「日本人は伝統的に何を食べてきたか」と考えるようにしている。たとえば味噌や醤油は日本人の英知の結晶であろう。美術作品と同じで、どんなものにしろ”良いものしか後世には残らない”のである。
そうして、玉子は後世に残るのだろうか。もちろん、人間が滅亡するくらいまで鶏は存在してくれるだろうが、現在のような玉子の消費スタイルが、100年も200年も続くものだろうか。
ちょっと、その時の冷蔵庫を見てみたいと思う。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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