蝿と醸豆腐(ヨンタオフー)
2017/08/22
朝ごはんを食べようとホーカーを訪れた。
ホーカーとは日本でいうところの露店みたいなもので、実際、かつての屋台群を清浄化しようと、シンガポール政府が束ねて管理下においたのがその成り立ちである。
いささか偏見に過ぎようが、屋台なんてものは国を問わずヤクザな商売だろうから、一筋縄ではいかなかったことが想像されるがどうだろう。
それはともかく、20〜30店舗ほどが軒をつらねるホーカーをぐるり一巡、しかし結局は私の気に入っている醸豆腐(ヨンタオフー)に落ち着く。
ヨンタオフーとはマレー風の「おでん」だという説明も聞くが、それより日本の寄せ鍋のシメだと考えた方が早い。すなわち、野菜と麺で至極あっさりだということである。
前置きが長くなった。本題に入ろう。ヨンタオフーの食材——白菜、ゆで卵、揚げ、豆腐など——は生の状態で、パン屋のようにむき出しで並べられている。これを好みに合わせてトングでどんぶりに入れる。そして店員に渡すと、適当に切って茹でられたのち、麺およびスープと合わせて出てくるという段取りである。
どんぶりにトングを持ち、さてと身構えたところで気がついた。ぶんぶん蝿がたかっているのである。2、3匹ではない。ゆうに10匹はいる。それらが豆腐や白菜ーー白と黒のコントラストの鮮やかさと言ったら!ーーに止まり、一茶の俳句ではないが「やれ打つな 蝿が手をする 足をする」のていで楽しげなのである。
私は一瞬ひるみ、店を変えようかとも案じたが、しかし、なんのこれしきここはアジア。それに食材は茹でられ殺菌される。なんのことはない、無問題あるいは南無三となぜだか変に意気込んで、ハエを追い払いつつ食材をよそって店員に手渡した。
まもなく出来上がり、私は着席して食べ始めた。スープをひとくち、麺をすすり、それからキクラゲをひとかじり。と、いやな味がする。なんだかぬるりとして、心なしか臭い。いや、もしかするとそれはまったくふつうの味なのかもしれない。しかし、先ほどの蠅の図が頭をよぎる。あれほど蠅がたかるのは、そういうことなのではなかろうか。
いやしかし、いまはまだ朝。食材も切り立て、並べ立てに違いない。いや待て、それはおまえの思い込みに過ぎないのではないか。それはあくまでも日本の飲食店での話であって、こちらではいったいどのような仕組みで管理されているかなど知れたものではない。前日たっぷり日がな1日南国の熱波にさらされた食材を、あんまり余ったからと翌日に回したとも限らないではないか。
あれこれ思案しながらも、食べる。ゆで玉子をかじり、ナスをつつく。まずくはない。うまいと言ってもいい。しかし、腹の底の方から、なんとも言えない気持ちの悪さがこみ上げてくる。
しかし、食品の安全性から言えば、これは可とされるべきものだろうとは思う。少なくとも不可ではない。なにより世界には蠅もたからないようなものを口にせざるを得ない人々がごまんといるのだ。
食べ進める。近代科学的思考でもって、現代的合理性に基づいて、食べ進める。しかし、それをゆうに超えてせり上がってくる原始的な感覚がある。それは迷信でありオカルトであり非科学的だと笑われても仕方がない種類の感覚だ。
だんだんと箸先がにぶり、そしてついに止まる。まだ半分以上を残して、私はトイレに駆け込んだ。
便器の底の溜まり水を涙目で見つめながら、いつか読んだ穢れの話を思い出す。——コップにおしっこを入れます。それを洗います。どんな高性能の分析器にかけてもその一分子すら検出できないほど徹底洗浄します。しかしそれでも、そのコップで水を飲もうとする時に感じる抵抗感、これが穢れの本質です。
どこを流してきたものか、蠅が一匹、便器の底の水辺に遊ぶ。手を洗い、足を洗って、水を飲む。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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