みんなの服と、私の服

「あいつにちゃんとスーツ着てくるように言ってくださいよ」

ある同僚が再三そう訴えていたという話を聞いた。確かに職場は全員スーツで、私ひとりだけが身勝手にも私服で通していたのである。

しかしその職場には、スーツ着用という規則があるわけでも、逆に私服禁止とされているわけでもなく、単に周りがスーツを着ているから、結果みなスーツになっているというだけなのであった。

実際、上司のひとりなど、私にTシャツでも全然いいと笑っていたりもした。とはいえ、そこに暗黙のルール――いわゆる空気――があることを、私が知らないわけでもわからないわけでもなかった。私の意思で、どうでもいいと無視していただけである。

もちろん、そのような態度に反感を持つ人がいるということは承知のうえである。先の言葉は、そのような人の率直な声であろう。みんなそうしているのに、空気を読まず、秩序を乱す、そんな奴は許せない。

しかしどうして、それを聞いたのは私の送別会の席であって、もはやどうでもいいを通り越して、何も言うことがない。にもかかわらず、いまさらもいまさらな罪悪感にも似た申し訳なさを感じるのはなぜだろうか。

別に服装で自己主張したい年頃でもないし、職場で自己アピールをしたいわけでもない。基本的に賃労働では従順を演じていればいいと思っているし、実際そのように振る舞ってもいる。だから決して信条、ポリシーのような確固としたものがあるわけではない。

つまり「なんとなく」そうしているだけなのであって、強いて言えばスーツを着るのは面倒だし、そもそもスーツなんて一着しか持っていないから、毎日着るなんて無理だというようなおざなりな理由でしかない。

もっと何か譲れない理由があるのならばまだしも、吹けば飛ぶような軽薄さでもって、わざわざ波風を立ててしまっていたことが心苦しいのである。必要のない嫌悪感を与えていたことを思うと申し訳ないのである。もっと言えば、周囲に迎合しなかった自身の「大人気のなさ」に恥じ入ったのである。

ところで、私に代わってやって来た後任者は、もちろんスーツ着用の人であった。それでも相も変わらず私服の私は、嫌でも目につく黄色いズボンなんか履いて業務の引き継ぎを行う。完了に近づくに連れ、長らく私が乱していた空気が元通りに修復されていくのを感じる。それは見えない壁となって、私を外部へと静かに、しかし力強く押し出してゆく。そう、私のいた場所はやはりスーツ着用の人の場所であって、そもそも私は社会に溶け込んでいるのではなく、あくまでも紛れ込んでいる異物でしかないのかもしれない。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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