死んだらぜんぶ終わりじゃんの世界

  2017/08/22

日曜日の朝。起きがけにおよそふさわしくない自殺関連のツイートを目にする。しかし興味はわいて、寝ぼけ眼でリンクを辿る。

自殺の模様をネットで中継して果てたという28歳の男の話であった。しかし記事中に貼られた本人のブログや問題の動画のリンクは切れていて、私は彼の名を頼りに検索をかけた。

目当ての動画はすぐに見つかった。と言っても画面は真っ暗で音声のみである。再生すると、しばらく無音が続き、そして唐突に「〇〇ちゃん!」という声が上がる。それは母親が帰宅して、ぶら下がり健康器で首を吊った息子を発見した場面なのであった。

母親は何度も子供の名を呼び、〇〇が自殺した、ばかぁというような、切れ切れの単純な言葉を繰り返し発した。ドラマや映画なら絶句か失神、あるいは逆にわざとらしいセリフ回しで表現されるだろうそれは、あらゆる演劇的なものが何をどうしようと――たとえ舞台上で実際に殺人や自殺をやってのけたとしても――決して表現し得ないだろう鼻の奥に突き刺さるようなリアリティがあった。

ここで断っておきたいのは、私は自殺についての是非や倫理、自殺者のエゴイズム等を問うつもりはないということである。そのような主張は、ネットの端々で展開されている応酬を参照すれば十分に事足りるだろう。そこにはおよそ人間が感じ考え得る価値観のすべてが網羅されている。

私が言いたいのは議論にもならないもっと感覚的なもので、自殺でもなんでも、死んでしまったらおしまいだという〈感じ〉である。または、死ねば〈こちら〉ではないどこか〈あちら〉に行ってしまうのだなあという凡庸な〈感じ〉なのである。

これは以前、リアルタイムで自殺の様子を中継、配信した男の動画を見たときにも感じたことである。その男はベランダの物干しざおで首吊りを図った。体重をかけるにつれ物干しざおがしなる。ぎしぎしと嫌な音で軋む。断続的に痙攣しながら、完全に動かなくなる。その後は物音ひとつなく、男はただただぶら下がっている。そしてベランダの向こう、物干しざお越しの空が徐々に白んでゆく。

夜が明ける。どこで誰がどうなろうが朝は来る――。当然と言えば当然であるが、私はその事実に少なからぬ衝撃を受けた。正直、死というものが、こんなにもこの世とあの世を断絶するものだとは思っていなかった。

私は漠然と思っていた。たとえ死んでも、どこかで人と人は繋がっているのだというようなことを。あるいは霊魂のようになって、雲の上の天国だか地の底の地獄だかで、しかしとにかくはこの世との連関で存在し続けるのだというようなことを。

確かに、〈生きている〉私の頭の中ではその通りである。なにより、そのような考えは現にいま生きている私の感覚に甘く心地よい。しかし真実、死ぬということは、生きている者には想像のつかない、全く別のどこかの全く別の何かになってしまうことなのである。

たとえば悪いことをしたら死んだおじいちゃんが悲しむなどと言うが、悲しむのは他でもない自分自身か、いま生きている親類縁者でしかない。葬式にしても、死者のためでは決してなく、残された、生きている者たちのためにこそ意義があるのだ。

別に輪廻とか、魂とか、そういうことを信じる信じないの話ではない。ただ、この世界はどこまでも生きている者たちの、生きている者たちによる、生きている者たちのための世界なのだということである。

自ら死を選び、ネットで実況中継までやってのけた者への誹謗中傷、共感、罵詈雑言、あるいは賛辞。皮肉にもやけに活き活きと息づいて連なる書き込みを見るにつけ、いよいよ死というものが遠く、おぼろなる。それはいま生きている私の偽らざる実感であると同時に、いずれ死ぬ私への無力感でもある。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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