ほぼエッセイ、ときどき現代の美術とアート。

人生そのもののようだった日々

昨年末の12月に、シンガポールから広島にある実家に帰ってきて、117日が経った。そして明日、渡米する。

ビザ取得に要する時間など、おおむね当初の予定通りで、これくらいになるだろうことはわかっていた。

しかし大学から家を出て以来、これほど長期に渡って実家で過ごしたことがない。それで気がついたことは少なくなかった。

老親が文字通り老親であること、時間が恐ろしく単調に流れること、その日常に起伏はなく、何ひとつ特別なことは起こらないこと。

それで数週間ほどが経つと、その日々にすこし苛立っていた。渡米まではまだ相当にあったから、身を持てあましていたのである。それは人生における若者の焦燥感に似ていた。

二月ほどが経つと、その日常にいくらか愛着がわいていた。代わり映えのしない生活も悪くないように思われ、私の一生はこれでいいのだという気さえした。それは人生における壮年の円熟に似ている。

残り一月を切ると、時間が加速度的に流れ始めた。この日々が終わりゆくことに、恐れと焦りを覚えた。それはたぶん、人生における老年の悲しみに似ていよう。

そしてこの最後の二、三日は、腹をくくる気持ちと未練とが絡み合って、四六時中落ち着かず、どこか上の空のような気持ちでいる。それはきっと、人生における最晩年にある心持ちではないだろうか。

人生八十年という。それを濃縮すると、ちょうどこんな感じなのだろうと思う。何をどうやっても時間は流れ、終わりは来る。先は長いと思っていたら、時間切れ。そんなこと、みんな知っている。私だって知っている。それはそうだけどと、私は考える。

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