ほぼエッセイ、ときどき現代の美術とアート。

金で結ばれ、情で切れ。

  2017/12/29

我々が日々しこしこと会社へ向かうのは、他でもない金のためである。

もし金がもらえないのなら、行かない。行くわけがない。

しかし、世の中には情が入らざるを得ないだろう仕事がある。たとえば看護、それに教育、あるいは住み込みの家政婦。

今でこそ日本で家政婦は一般的ではないが、かつては少なくなかった。だから近代日本文学にはよく女中が登場する。夏目漱石の「坊ちゃん」に出てくる女中の清(キヨ)など、その典型である。

言うまでもなく雇う側と女中とは、金銭的利害関係で結ばれている。つまり、金が払えない・もらえないならそれまでである。

だとしても、そこにはしばしば金銭を超えた、魂の交流とでも言うべきものが生ずる。先に挙げた坊ちゃんにしてもそうだが、幼年時代より住み込みで長年付き合っていれば、自然と深い人間関係が育まれるのは当然かもしれない。

ところで、シンガポールで家政婦、それも住み込みはごく一般的である。先日、クリスマスのディナーに招かれたお宅にも居た。

どこか怯えたような顔つきをしたマレー系の初老の女性で、最初にヘルパーだと紹介されると、それきり裏に引っ込んだ。

用意された料理は豪勢だった。七面鳥の丸焼きに、子牛の煮込み。そのお宅の夫婦や他の客人とともに、せわしなく食べ、ビールにワインにとグラスを重ねた。

ほどよく酔いがまわってきたころ、庭先にしつらえられた洒落たテーブルに移った。ケーキを食べて、お茶を飲んで、ブランデーなんかも垂らした。我々はよくしゃべり、よく笑った。

ふと、その手入れが行き届いた庭の端の暗がりで、ヘルパーがバケツの水を流しているのが見えた。それは誰だかの詩で、女が放尿する音を「しゃぼりしゃぼり」と表現した、あのえも言われぬ寂しさを想起させた。

散会が近づいたころ、家の主人がヘルパーを呼んだ。携帯を渡して、写真を撮らせた。我々はみな笑って写真に収まった。私の携帯でも撮ってほしいと頼む者があって、もう4、5回ばかり写真を撮った。それでも我々は、やはりみな笑って写真に収まった。しかし、ついにヘルパーがそこに加わることはなかった。

私は、はからずも憐れんだ。今日はクリスマス。なんだか、ひどい仲間はずれみたいだと思った。彼女は住み込みで働いている。毎日顔を合わせている。家族みたいなものではないか。

もちろん、彼女は金によってそこにいる。あくまでも「スタッフ」であって「客」ではない。それは正しい。間違ってはいない。全然、間違ってはいない。だけど。

だけど、今日はクリスマス。とにもかくにも、みな愛し合いなさいと言った人の生まれた日。何より彼らは熱心なカトリックで、まあ、それとこれとは別なのかもしれないけれど。

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