ココイチのビーフカツに思う

  2016/04/17

先日、ココイチが廃棄したビーフカツが横流しされ、スーパーで売られていたという事件があった。

説明の必要もないだろうが、一応、ココイチは日本を代表するカレー屋である。とはいえ、私からするとココイチはどうも高くて行く気になれない。参考までに調べてみたところ、ポークカレーは442円、ビーフカレーは597円であった(2016年1月時点)。どうして、それほど高くはなかった。しかし、妙に割高なイメージがある。それならば、やはり吉野家の牛丼(並)380円(2016年1月時点)を食べようと思ってしまう。何かにつけて牛丼を比較対象として引っぱり出してきてしまうが、誰でも直感的にわかる便利な基準であることは確かだろう。

さっそく話が横道に逸れた。ビーフカツの横流しについてである。ココイチが廃棄処理を依頼していた産廃業者が勝手に横流ししていたのである。そして巡り巡ってスーパーで売られているのを、ココイチで働いている社員が見つけて発覚したのだという。

もちろん、産廃業者が悪いことは明白である。しかし、私はあえてこう問いたい。なぜビーフカツを捨てなければならなかったのかということだ。

賞味期限の問題があるとはいえ、ビーフカツをもらって困るという人が、この世にどれだけいるだろうか。「早めに食べてね」と言って渡せば、大抵の人は感謝の言葉とともに受け取るだろう。このような考えは、牧歌的に過ぎるだろうか。確かに、利益を優先させれば廃棄という一択になるだろう。そんなことをすれば、商売にならない。しかし、少なくとも割引して安売りするくらいのことはできるはずである。

”ふつう”に考えれば、誰でもそうしたほうがいいと思うだろう。ほとんどうわ言のようにエコエコ言われる時代である。捨てるよりはよほどマシである。しかし、現代の企業はそのふつうの感覚よりも、利益を優先する。まだ十分に食べられるコンビニ弁当が日々大量に廃棄されているのと同様の構造である。

このような主張は、論点がずれていることはわかっている。問題は産廃業者の横流しである。しかし、そもそもの話し、ココイチがビーフカツを廃棄するという商習慣がなければ、産廃業者の出番などなかったのである。

今一度”ふつうの感覚”で考えてみてほしい。ビーフカツは捨てるものではなく、食べるものである。それならせめて、従業員には無償で差し上げるくらいのことをしても罰は当たらないのではないだろうか。パートのおばちゃんにしろ、学生のバイトにしろ、あるいは正社員のお父さんにしろ、ビーフカツを持ち返ることができればきっと嬉しいだろう。私なら大喜びである。食べたことはないが、ココイチのビーフカツはうまい。ビールに合うに違いない。食べてみたい。できればタダでいただきたい。

そう思う人は、決して私だけではないはずだ。そのような仕組みが実現すれば、従業員の方々にはココイチで働いているということの強力なメリットが生じる。ビーフカツのおかげで彼氏や彼女ができましたなんていう話はざらである。頭の良さやファッションセンス同様の確固とした価値として、ココイチで働いているということがステータスになる。彼や彼女と付き合えば、いつでもビーフカツがタダで食べられるのだ。もっと、毎晩持ち返るビーフカツのおかげで夫婦仲がよくなりました、あるいはビーフカツのおかげでスタミナがついて子宝に恵まれました、などというおめでたい話も十分にあり得るだろう。

つまり、捨てるはずだったビーフカツを寛容に配布するだけで、環境に優しいことはもちろん、日本の少子化問題の解決の糸口にもなる。いや、波及効果はこれだけではない。ビーフカツだけではさびしいと思うのが人情である。キャベツの千切りも添えたくなる。するとキャベツが売れる。米も食べたくなって、米が売れる。ビールも飲みたくなってビールが売れる。そうして毎日ビーフカツばかり食べていると、味に変化がつけたくなり、種々のとんかつソースやウスターソースが売れる。書き立てればきりがないが、つまり、その経済効果は計り知れない。

昔からのことわざにあるように、「損して得取れ」とはまさにこのことであろう。目先の利益ばかりを追求する各界の上層部には猛省を求めたい限りである。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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