生きにくい人(夏目漱石の草枕から考える人の世)

最終更新: 2017/08/22

人生はつらいよという。男はつらいよともいう。ついでに渡る世間は鬼ばかりだともいう。

なんにしろ、とにかくは生きていくことは大変だという。かの夏目漱石の草枕にもこうある。

”智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。”

その通りだと思う。昨日、久しぶりにこの名文を放送大学で聞いた。そして、以下の続きがあったことを思い出した。

”住みにくさが高じると、安いところへ引っ越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。矢張り向こう三軒両隣りにちらちらする唯の人である。唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。”

じーんと、ただただ心に染み入るばかりの名文である。そう、芸術とは往々にしてクソおもしろくもない日々の中から噴出するように生まれ出ずるものである。歴史を顧みれば、戦争をはじめ世の中が大きく動くときにこそ革新的な芸術が発生しているのは決して偶然ではない。

いつの時代も、世の中には生きにくい人が存在する。それは多かれ少なかれ、世の中とうまく折り合いが付けられない人たちのことである。言わなくてもいいことを言い、しなくてもいいことをする。あるいは言うべきことが言えず、するべきことができない。

芸術家と呼ばれる人たちもまた、その一種である。言わなくてもいいことを言い、しなくてもいいことをする。それも、耳が痛くなるほどに言いまくり、鬱陶しいほどにやりまくる。つまり、甚だ面倒くさい人たちである。

どんな世界でも、面倒くさい人は嫌われる。しかし、類は友を呼ぶ。嫌われ者が集まる。それが美術界隈である。その中でもまた、嫌われ者の序列ができ、”特に面倒くさい人”たちが生じる。その特に面倒くさい人たちが集まると、偉人かクズかが醸成される。

それはさておき、基本的に美術をやっている人たちは世間からすれば面倒くさい人たちであり、嫌われ者である。あるいは、それは芸術家である証左なのかもしれない。とはいえ、嫌われて喜ぶ者はいない。嫌われ者は辛い。辛いけれど、そのようにしか生きられないから仕方がない。

仕方がないけれども、辛い。いっそどこかへ行ってしまいたくなる。そうして、再び草枕の至言に立ち戻ることになる。”住みにくさが高じると、安いところへ引っ越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。”そう、だから作品ができる。できないという人は、ただの生きにくい人である。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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