縁を切って考える(仕事も生活も放り出したくなったある日のこと)
2017/08/22
この世と縁を切りたくなる時がある。
別に大した理由はない。ただ、なにか漠然と我慢ならなくなる。自分の能力だとか、置かれている状況だとか、これからのことだとか、あるいは今までのことだとか、果ては生きるべきか死ぬべきかというようなことがらのすべてが、頭の中で下手なテトリスのようにぐちゃぐちゃになって積み上がってきて溢れそうになる。そしてちょうど癇癪を起こした子供がゲーム機のコントローラーをぶん投げるように、手当り次第めちゃくちゃにぶっ壊してやりたいような衝動に駆られる。
それは予兆もなく突然にやってくる。つい先日もあった。何もかもがおもしろくなかった。自分が息をしていること自体がくだらないと思った。しかし私の気晴らしの選択肢は少ない。というか一つしかない。私は酒を求めて家を出た。
日曜日、正午間近の真っ昼間で、曇っていた。そうして当てもなく自宅から徒歩20分くらい歩いてみたところ、『バーミヤン』を発見した。これは昼呑みに適当だとばかりに中に入ると、呆れるほど混み合っておりその列は店外にまで及んでいた。
一応、待合の予約者リストに名前を記入してはみたものの、(こいつら何が悲しくてせっかくの休みの日にこんなクソ安いチェーン店に群がってんだ貧乏人かよカス)と思うと、待つのも馬鹿馬鹿しくなってきて、他の店を探して歩き出した貧乏人でカスの私であった。
そこからさらに10分ほど歩くと中華料理屋があった。表に出ている張り紙を見ると、生ビールとおつまみのセットで680円とある。しかもおつまみは、ギョウザ、鳥の唐揚げ、ニラレバなどからなる種類豊富な中華から選べるらしい。これはなかなか悪くないと、入店を決めた。
しかし弱小店舗は悲しい。まさにお昼時にも関わらず、客は二組しかいなかった。同じ中華料理系のバーミヤンとは雲泥の差である。それはともかく、私はその先客らが一望できる奥の席を陣取った。まもなく女性の店員が注文を取りに来た。私は例の生ビールセットを頼み、おつまみに春巻きを選んだ。店員は厨房にかまびすしい中国語でそれを伝えた。
生ビールが運ばれてきて、ジョッキをひっくり返すようにあおる。うまい。二日酔いでもない限り、だいたいいつもだが酒はうまい。〈酒は憂いの玉箒〉とはよく言ったものである。それだけでもう、(この世もまあ悪くないんじゃないか)と、いくらか気分も和らいでくる。
正面のテーブル席では、男女3人の若者がラーメンと半チャーハンなんかがセットになったランチメニューを食べていた。それから右斜め前にはでっぷりしたおっさんがひとり、ランチメニューをつまみに酎ハイを呑んでいた。私の背後にあるテレビに目をやりながら、ちびりちびり呑んでは食べ、そして時折ニヤッとかすかに相好を崩した。
テレビでは〈のど自慢〉をやっていた。性別も年齢も歌唱力もばらばらの歌が唄われ、カンとかコンとか鐘が鳴る。正面の若者三人は、テレビなど眼中にないらしく各々が携帯をいじりながら食べている。と、私の春巻きが運ばれてくる。おざなりではない春巻きで、なおビールが進んだ。
おっさんが酎ハイをおかわりした。正面の若者三人は食べ終わり、しかしそのままぐだぐだとして煙草を吸い始めた。三人ともが喫煙者だった。それでゆらゆらと煙がこちらに流れてくる。しかしどうして、不快ではなかった。
おっさんは実にうまそうに酎ハイを舐める。『とても還暦には見えませんね!』背後でのど自慢が続く。『ええ、今日はもう、お恥ずかしいのですがミニスカートでがんばりました』おっさんの顏がほころぶ。女性店員を見やると、客席に腰かけて携帯をいじっている。「すいません」生ビールを飲み干してしまった私は瓶ビールを追加した。
若者三人はそれぞれが携帯をいじりながら、時折ぼそりぼそりと何ごとかを話すというよりつぶやいて、そして唐突にケラケラッと笑った。『14番、結婚した親友のために歌います!』やけに力んだ調子っぱずれの歌が流れる。たぶん鐘はひとつだろう。瓶ビールが運ばれてきたものの春巻きを食べ終えてしまい、砂肝炒めを注文した。カーン、コーン。鐘はふたつだった。そういえば最近はのど自慢も甘いらしく、鐘がひとつのことはまずないのだと母から聞いたことがある。真偽のほどは定かではない。
『トンボのめがねは水色めがね、あおいおそらを』――合唱コンクールのような歌が流れてきて、私は振り返ってテレビに目をやった。どこかの小学校の一クラスだろう子供たちが整列して歌っている。(こういうのは絶対に満点なんだよな)。私はそう思いながら、グラスにビールをつぎ足した。
三人の若者が、かわるがわるタバコを吸うものだから常に煙が流れてくる。おっさんは酔いが回ってきたのか顏がゆるみ、いやに楽しげだ。厨房から中国語が漏れ聞こえてくる。女性の店員は相も変わらず携帯をいじっている。次の瞬間にもトンボのめがねの満点だろう鐘が鳴らされそうだった。私は、いまここでこうしていることがたまらなく愛おしいと思った。
果たして、鐘は高らかに鳴り響き満点を告げた。子供たちのうわっとかきゃあとかいう歓声が上がる。おっさんはそれを見届けて満足したのか席を立った。それに続くようにして若者たちも出ていった。ひとり間が悪く取り残されたような格好になって、私もまたお会計を済ませて外へ出た。
帰り道、もう一度バーミヤンに寄った。予約リストに書いた私の名前には線が引かれ、消されていた。それを見ると妙に納得して、もっと、うれしくもなってきて、ぷらりぷらりと家路についた。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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