勝手に産み落とされて、かれこれ43年になる

べつに産んでくれと頼んだ覚えはない。

この手の憎まれ口は、せめて二十歳になるまでに卒業しておくべきことだと頭では理解しているが、いまだ感情が追いつかない。

精神が幼稚なのだと言えばその通りかもしれない。しかし、大人という商売はとかく面倒なことばかりでうんざりする。

43歳かァ。そんなことを思いながら、私は、バーでダーツに興じる人を眺める。

老いの口で、後頭部のさびしくなっている彼は、しかし、真剣な顔つきで、中心を狙って投げる。

9割がたはあらぬ方向に飛んでいき、想定外の場所につき刺さる。

人生そのものみたいだなァ、と私は思う。

みんな、自分の夢や希望という標的目がけてつき進む。しかし、たいてい狙いはそれる。外れる。なんならかすりさえしない。

なにがどうなって、広島の片田舎に生まれた私が、いま、43回目の誕生日をオランダで迎えているのか。

あそこでああなって、こうなってと、人生にあったひとつひとつを手繰り寄せると、コントロール不能な偶然に満ちていて、自分の意志や希望なんてものは、あってないようなものだったことに気がつく。

ダーツは3本投げるのが基本である。もし1本目が狙いを外れても、残り2本が同じ場所に刺されば高得点になる。

これまた人生みたいだなァ、と思う。外れたら外れたなりに、その条件のもとでなんとかする、というような。

控えめに言ってもさえない彼のダーツが、思いがけず、鮮やかにど真ん中に命中する。

偶然だろう。しかし、偶然だからといって、なにが劣るわけでも、悪いわけでもない。原因はなんにしろ、望んだ結果になったなら、素直に喜んで損はない。

これまで、いろんな夢がかなわなかった反面、想像もしていなかったことが勝手に実現した。嬉しかったし、悲しかった。

これからも、死ぬまでそんな感じなのだろう。

仮に、人生の一切が自分の思い通りになっていたら、と考える。つまり、偶然は存在せず、すべてが必然の世界線である。

人間の想像力なんてたかが知れている。たぶん、私含め、そもそも誰も産まれてない。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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