犬畜生のさかりによる、ものおもい
2017/08/22
さかっている犬を見た。
いや、ぼくとしては犬畜生と、あくまでも呼びたい(犬猫が嫌いだから)。
人の多く往来する道路で、さかっていた。
恥ずかしげもなく、派手にやっていた。
犬を飼っている人なら日頃よく目にする光景に違いないんだろうけど、ぼくにとっては、なんだかひどく新鮮で、そして滑稽だった。
その二匹の犬畜生は、よくある犬用の"服"を着せられていたのだが、それがなおのこと滑稽さを強調していた。
言うまでもなく、犬は、「服を着た」のではなく「服を着せられている」のであった。
衣服とは、おそらくは"理性"の象徴である。
アダムとイヴを引き合いを出すまでもなく、知恵の実を食べて"初めて"裸であることが恥ずかしくなり、葉っぱで恥部を隠したのだ。
理性の象徴である衣服を着ながら、本能の最たるものである性行為を人前で堂々と晒している、というのは、どうにもシュールで。
それが理性を持たない"動物"であるのだから、至極当たり前のことではあるのだが、改めて目の当りにすると、それはひどく非日常的で。
ほんと、ばかみてぇ。
犬そのものも、犬が服を着せられているのも、犬に服を着せる人間も、人前でさかっててもそれが当たり前の光景として自然なこととして溶け込んでいるこの世界も、それを見てぼやぼやと感じ入るぼくも。
ほんと、ばかみてぇ。ったく、ばかみてぇな構造の、世の中だ。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
ご支援のお願い
もし当ブログになんらかの価値を感じていただけましたら、以下のいずれかの方法でご支援いただけますと幸いです。
Amazonギフト券で支援する
→送信先 info@tomonishintaku.com
ブログ一覧
-
ブログ「むろん、どこにも行きたくない。」
2007年より開始。実体験に基づいたノンフィクション的なエッセイを執筆。アクセス数も途切れず年々微増。不定期更新。
-
英語日記ブログ「Really Diary」
2019年より開始。もともと英語の勉強のために始めたが、今ではすっかり純粋な日記。呆れるほど普通の内容なので、新宅に興味がない人は読んで一切おもしろくない。
-
音声ブログ「まだ、死んでない。」
2020年より開始。ロスのホームレスとのアートプロジェクトでYouTubeに動画をアップしたところ、知人にトークが面白いと言われたことをきっかけにスタート。その後、死ぬまで毎日更新することとし、コンテンツ自体を現代アートとして継続中。
- 前の記事
- 個人的なテスト勉強:3/4「食品学」
- 次の記事
- 群馬青年ビエンナーレ2012一次審査通過