それぞれの幸福ってやつが、あるの思うの

  2015/07/03

家に帰りたくないときは素直に帰らないに限る。なんでもそうだ。自分に正直に生きたほうがいい。

ちょっと違うが、オノ・ヨーコもそんなことを言っていた。

『言いたいことを言わないたびに、私たちは死んでいきます。今週、あなたが何回、死んでしまったのか、リストを作りましょう。』

これがひとつの真実であるとすれば、ぼくは相当に生きているように思う。それこそ「イキイキ(生き生き)」生きている、言うなら”生き過ぎ君”といってもいいかもしれない。

さて、つまらないことを言ったところで本題に戻ろう。家に帰りたくないぼくは、会社から徒歩1分のところにあるカプセルホテルに電話することにした。というか、以前から何かあれば泊まってやろうと目星をつけていたのである。

週末でもない完全な平日ということもあり、問題なく空いていた。一泊3,500円で、さらに朝食つきとのことであった。この値段で朝食がつくとは、デフレここに極まれりという感じである。

二つ返事で予約を入れたぼくは、一路、恵比寿から稲荷町へと向かった。30分ほどで到着し、先払いになっている会計を済ませた。

カプセルホテルに泊まるのは人生二度目である。しかし、一度目は泥酔もいいところだったため、カプセルホテルという、どこか非人間的な空間をよく味わうことができなかったので、今回が一度目と言ってもいいだろうと思う。

というか、一度目でも二度目でもどうでもいいよという人は、今すぐブラウザを閉じて二度とぼくのブログを見ないでいただきたい。いや、妙に突き放してごめん。OK、おれが悪かった。

閑話休題。

ロッカールームに行き、館内着(サウナ着というらしい)に着替えた。そしてまずはお風呂へと向かった。

大浴場と銘打ってあり、何が大浴場だよちゃんちゃらおかしいぜと思ったが、どうして、これがなかなかの快適な浴場であった。

ぼくは股間を洗い、脇の下を洗い、頭を洗いながら、(これで3,500円これで3,500円これで3,500円ッ)と繰り返していた。つまり、お値段以上ということである。

なぜなら、健康ランド的な銭湯だって、少なくとも1,000円くらいは取られるのである。そこに宿泊がプラスされて3,500円とは、なんというお得感であろう。

お安い!お得!サイコー!上機嫌で風呂を出て身体を拭き上げると、ぼくは意気揚々とカプセル=寝床に向かった。カプセル番号は409。ヨロシクと読もうとしたが、それはこじつけというものである。

ぼくの寝床のある空間には、上下二段で30個ほどのカプセルが並んでいた。入ってすぐの上段にある409のカプセルにもぐり込み、入口のロールスクリーンを下ろす。さっと、閉所恐怖症の人であれば早晩パニックになりそうな密閉感に襲われる。

とりあえず、身体を横たえてみる。どこかから、薄くイビキが聞こえてくる。ぼくは途中コンビニで買ってきたツマミ(ミックスナッツとスナック等)と、さくら水産から持ち帰ったワインとで長い夜を過ごそうと思っていたのだが、そういう感じではまったくないのだった。

それに、歯も磨いちゃったしなあと思う。することもないので、カプセルの上部にすえつけてあるテレビのスイッチをいれてみる。

グルメ番組らしきものをやっていた。誰だかよくわからないが、とにかくは誰かが、うまいだとか、新鮮だとか、やわらかいだとか、とろける、ジューシー、などと、月並みな言葉を並べていた。

それらを、7割がた閉じた目で眺めていた。相変わらず、どこかからいびきが聞こえてくる。

何か、深いことを考えたかった。宇宙とは何か、この世とは何か、自分とは何か、これからぼくはどうするべきか、生きるべきか、死ぬべきか、とか、そういうことを、考えたかった。

しかし、その種の思考は考えようと思って考えられるものではない。淡々と生きていると、ある日突然、暴漢に襲われるように降りかかってくるものである。

だから、ぼくは、結局なにも考えられなかった。つまり、しみったれたおっさんが、ひとりでカプセルホテルに泊まっているだけであった。

その他大勢のおっさんとまったく同じで、例えばそこでいびきをかいているおっさんとぼくが肉体から精神からすっかり入れ替わったとしても誰にも不都合はなくて、そう、交換可能で、でも、ぼくはすばらしい才能を持っている特別な人間でありたいと思ってて、というか、とんでもない現代美術家でそこらのおっさんなんかとはわけが違うんだと思ってるし本気でそう信じてるんだけど、だけど、やっぱり、悲しいほどに同じで、ぼくは、どこにでもいるおっさんでしかなかった。

テレビの中の誰かが食べる美味しいらしい料理の数々を、何の感慨もなく眺めていた。

眠りに落ちたのは、きっとそれから間もなくだった。そのわずかな時間、何がどうというわけではないが、妙な幸福感に包まれていたことを覚えている。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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