決してプライスレスではない(前篇)
2017/08/22
人生というものを思った。いったい、ふつうの人は一日をどのように過ごしているのだろうか。楽しい休日とはなんだろうか。一般的な、充実した休日とはどういうものだろうか。
それはおおざっぱに言えば、とにかくはどこかに出かけて、何かを見たり聞いたりやったりして、飲み食いして、あー楽しかったと言いながら帰って寝る。ただそれだけのことだろう。しかし、ぼくはそのような休日の過ごし方をしない。一日中家に居て絵を描くくらいのもので、外出と言えばせいぜいが近所のスーパーに出かけて飲んだくれて終わりである。
ああ、そうだ、ぼくはふつうの人のような、いかにもふつうの休日を過ごそう。いや、過ごさねばならない。そうすれば、何かが変わるかもしれない。
そうしよう!っと、たちまち決意するやはね起きて、忙しく服を着始めた。ベージュのパンツに薄い青のストライプのシャツをタックインして、紺色のベルベットのジャケットを着た。それは、ぼくの中で一番パリッとした格好だった。曇りではあったが、日焼け止めを念入りに塗りたくって、玄関に立った。なんだか、長い旅になるような気がして、重いブーツではなく、軽くて歩きやすい茶色いレザーのオールスターのハイカットを履いて、靴紐をきつめに締めて家を出た。
国立駅に向かって歩き出した。清澄白河にある東京都現代美術館にでも行こうと思った。が、ほどなく定期券の入ったパスケースを忘れたことに気が付いて、新宿方面へ行くのはやめにした。定期券があるのに、定期券内のお金を払うのは馬鹿馬鹿しいからだ。なので、立川方面にすることにした。府中市美術館、とか。まずは近所のドラッグストアに寄って以下のものを買った。
10:50 ヘパリーゼドリンク+いろはす(水) 500ml = 計500円
一応、二日酔いに一番効果があると思っているヘパリーゼドリンクを飲んでおいた。と言っても、ごく軽い二日酔いだったのだが、心情的に今夜も飲むだろうことは必至だったので、先手を打っておいたという意味合いのほうが強い。で、ミネラルウォーターを飲みながら歩いた。
いまにも雨が降り出しそうだったが、なんとかなるだろうと思って構わず歩いた。なぜだか、木々や草花の緑がいやに瑞々しく、美しく感じられた。ああ、国立って、いいところなんだなと、越してきて以来、初めて心から思った。
駅近くにある雑貨店に入った。最近、帽子を買いたいなあと思っていたので、何かいいのがあればと思ったのである。ちなみに、帽子が欲しかったのはファッション云々よりも紫外線対策である。しかし、特にめぼしいものがなかったので店を出た。
国立駅に着き、電車に乗ろうかと思ったが、その前に100円均一に寄ることにした。絵を描く時の台座にするための、発泡スチロール製のレンガがあればと思ったのである。が、無かったのですぐに出た。
100円均一を出て右手を見やると、まっすぐに道路が伸びている。何度も見たことがある風景だった。しかし、その道を進んでみたことは無かった。ふと珍しく好奇心がわいて、歩いてみることにした。
見知らぬ店々が立ち並ぶ道は、歩いていて退屈しなかった。途中ブックオフがあったので入店した。文庫本を買おうかと思ったが、いや、今日はいつもしないことをするんだと思い、店を出た。
居酒屋、雑貨屋、自転車屋、とにかくは意外なほどにいろんな店があった。陶芸教室もあって、店の前で生徒か先生の作品か、陶器を格安で販売していた。なかなかいい形の小鉢があって、買おうかと思ったが、荷物になるのでやめておいた。帰り道に、また通ったら買うことにしよう。が、そういうふうに考えて、本当にあとで買うことなんてまずない。実際、なかった。たぶん、ぼくとその小鉢とは、そもそも縁が無かったのだ、なんて、大袈裟か。
それはさておき、ひたすらに歩いた。そのうちに、細く雨の線が見え始めた。霧のような細かい雨で、降るというより、霧吹きで吹いたように舞った。そういう雨は、たいていは時間の経過とともに強くなっていくものだが、不思議と、ずっとそのままだった。濡れているような、いないような、傘がほしいような、要らないような。
抗うつ薬を飲んでいたせいか、妙に時間と空間が濃密に感じられた。この世界に自分が存在しているんだ、という実感。
どのくらい歩いたのか、すこしばかりお腹が空いてきていた。位置感覚がなく、地理も不明で、どこをどう歩いているのか皆目見当がつかなかった。ほとんど人の通らない路地裏の住宅地を歩いていた。右手上方に中央線が走っていたが、それがいったい何駅付近なのかはわからなかった。
前方から、初老の女性二人と、小学2年生くらいの女の子が伴って歩いてきた。おばあちゃんに連れられてお出かけか、なんだか懐かしいな、などと思っていると「すいませんが、聖徳院にはどうやっていけばいいですか?」と話しかけられた。「南武線の近くなんですが」
「聖徳院?ええと、それは、南武線の駅名ですか?」
「いえ、南武線の西国立駅の前に聖徳院というのがあるんです」
「ああ、なるほど。どこから来られたんですか?」
「立川駅からです」
初老女性と子供が連れだってそれほど歩くわけもないので、ああ、ぼくはいつの間にか国立から立川まで歩いて来ていたのかと驚いた。
「それだったら、一旦立川に戻って、南武線に乗り換えられたほうが早いんじゃないんですかね。ぼくも立川に行くところなんですが」
彼女らは中年をある程度過ぎた女性特有の、相槌のような意味のない笑い声を上げてから言った。「ああ、迷ったもんだねえ。そうですかそうですか。西国立駅はどっちになりますか?あっちですか?」
「たぶんですが、そっちに歩いていけば、たぶん、南武線にぶつかります。たぶんですけど」
「はいはいどうもありがとう。あっちですね。それじゃあ、あっちに行ってみよう」彼女らはひとしきりまた笑って、頭を下げ下げ、”あっち”の方向に歩き出した。その間、子供はくすりとも笑わず、片方の初老女性の陰から、ぼくをいぶかしげにちらりちらりと見ていた。
ぼくはまた、ひとり歩き出した。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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