決してプライスレスではない(序章)

最終更新: 2017/08/22

軽い二日酔いで目覚めた昨日、GW最終日。

妙にお腹が空いていたので、インスタントラーメンに山ほど乾燥ワカメを入れて食べた、それから、お風呂にも入らず眠ってしまっていたので、湯船に44度のお湯を張って、ゆっくりと浸かった。途中、立ちくらみがして、湯船から上がった。洗い場に体操座りでへたり込んだ。しばらくそうしていた。換気扇のダクトを通じて、車の走行音が、低く響いていた。それぞれの車の行き先と、車内で流れているだろう思い思いの時間を、考えるともなく考えた。

一通り身体を洗って浴室を出ると、病み上がりの朝のように頭がぼうっとしていた。化粧水を塗って髪を乾かして、それから裸のまま、ベッドに横たわって、窓を開けた。空を眺めた。ベタ塗りしたような均一な灰色の空に、濡れたような風が吹いていた。

ふと、股間のあたりがなんとなくむずがゆかったので、なでるように掻いた。ひとしきり掻いてその手の平を見やると、指の間に、陰毛が一本はさまっていた。

それはなんの秩序もなく縮れていて、太さもまばらだった。太くなったり、細くなったりして、とにかくはうねっていた。

一本の陰毛を、指先でくるりくるりと回しながら、眺めていた。醜くて、汚らしいと思った。とはいえ、身体、髪、皮膚は、そのすべてが自分なのであって、部分部分を切り離して考えることはできない。

いや、そんないつもの面倒くさい思考はどうでもよくって、かようなどうでもいい行為、俗な表現をすれば「ボケーッと抜けたちん毛をいじっている」と、妙な実感を持って、熱湯は熱いとか氷は冷たいとかいう具体的な皮膚感覚でもって、吹出するように感慨が込み上げてきた。それは、ぼくの人生が尻つぼみに収縮していく、閉じていくということだった。

どんなことにでも旬というものがある。ぼくは、ぼくの人生の旬というものが過ぎ去ったのだということを、ひしひしと感じた。この先、過去にあったさまざまな出来事よりも、楽しくて嬉しくて幸せなことがある、なんてことは到底思えず、もう、何もかもが枯れ果てていく一途のように思われた。

恋愛、進学、就職、結婚、出産、子育て、子供の成人、孫の誕生といった人生のイベントを一通り終えた、老人のような心境だった。同時に、今はまだ十分に朝なのに、すでに一日が終わったような気分だった。これは、特にその日に限ったことではなく、最近の心持ちの常で、一日という時間を、どうしようもなく単純作業的に捉えてしまうのだ。

「さあ、今日も新しい一日の始まりだ。どんな素敵な一日になるだろう。」とまではいかなくとも、もう少し、一日という時間を素直に味わい楽しめてもいいのではないだろうかと思う。が、思いはするのだが、結局のところは、ああなってこうなってそうなって夜が来て酒を飲んで酔っ払って終わりという日々に終始しているのである。

いまこの瞬間、現在と、過去と、未来と、生きていること、それらのすべてが寒々しい気がした。胸がぎゅうっと締めつけられて、涙腺がゆるんだ。風が吹いた。指先から陰毛がすべり落ちて、どこかへ飛んでいった。どうにかしなければならないと思った。この一日という時間を、誰かと会うとかそういう小手先のごまかしではなく、独りで、自己完結できる方法で、満足のいく、豊かな、確かな生の実感のある一日を創造したいと思った。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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