俗人の没落
2017/08/22
日々がおそろしく単調である。誰だって多かれ少なかれ単調だろうが、それにしても単調である。
努力は決してエキサイティングなものではないが、それにしても退屈である。決してすることもなくて暇なわけではないが、頭の中が"漠然とした何か"を渇望しているのをひしひしと感じる。
キューブラー・ロスの死の瞬間を読んでいるのだが、その中で、死の近い患者がこう言う。
「ときどき絶叫したくなるときがあるんです」
そんなフレーズに妙に共感してしまう今日このごろである。
とりあえずカラオケに行って絶叫してこようかなんて思うが、へたに声の枯れた三十がらみの男やもめの帰り道の虚しさが想像されて、およそ行動までには至らない。というか、ぼくが絶叫したいと思う気持ちはそういうことで解消されるものではない。
とにかくもう、渇き、飢えているのだ。と言っても別にセックスがしたいわけじゃない。そんなもんで満たされるもんならとっくの昔にやりまくってる。
ちょっと、ぞっとするのだ。このいまの生活が延々と続き、ただただ老いてゆく自身を思うと、もう、いったいどうすればいいんだと、それこそ動物のように咆哮してついでに泣きたくなる。
泣きたい。しかし、最近はどうも涙が出ない。もはやみずみずしい若者のように、自分の世界に酔って涙することもできないところまで来てしまったのだなあ、とか思う。
つまるところ老けた。
そんなこんなをとりとめもなく思いわずらってそれほど小さくない我が胸を痛めていると、またしても例のクリープハイプにわたしの気持ちを代弁されてしまった。
「本当の事を言えば毎日は 君が居ないという事の繰り返しで
もっと本当の事を言えば毎日は 君が居るという事 以外の全て」
(クリープハイプ「手と手」より)
ああ、来る日も来る日も呆れるほど暑い。四六時中顔を中心に、身体中がベタベタしてしょうがない。
しかし最近は、特に見せる人も見せたい人も居ないので、べたべたのままに、見てくれのことはとりあえず忘れて、どこに行く用事もないし、誰の誘いもないし、だけどSNSを見てるとみんなやけに夏ってやつをエンジョイしてるみたいだし、それがまた精神に深刻な害を及ぼすほどにきらきらと輝いて見えて、単純にうらやましくなって、さびしくなって、ああ、おれはいったい何をやっているんだろうかと、いや、ヤケにもならずにやることはやっているんだけれど、いや、だからこそかもしれない、ひたひたと虚しさが追いかけてくる。
しかし逃げるところも無いので、とぼとぼと、虚無と一緒に歩いて帰る。
初めてかもしれない。どこか遠くへ行きたいと思う。しかし現実問題、今日はP100号パネル3枚分のお金を振り込んだので、どこかへ行くお金もなにもない。
どこへも行けない悲しみに耐えるばかりである。

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
- 前の記事
- 2015/07/03 更新 クリープハイプについて
- 次の記事
- 2017/08/22 更新 気分のままに生き流れ
出版社・編集者の皆様へ──商業出版のパートナーを探しています
*本ブログの連載記事「アメリカでホームレスとアートかハンバーガー」は、商業出版を前提に書き下ろしたものです。現在、出版してくださる出版社様を募集しております。ご興味をお持ちの方は、info@tomonishintaku.com までお気軽にご連絡ください。ご支援のお願い
もし当ブログになんらかの価値を感じていただけましたら、以下のいずれかの方法でご支援いただけますと幸いです。
Amazonギフト券で支援する
→送信先 info@tomonishintaku.com
ブログ一覧
-
ブログ「むろん、どこにも行きたくない。」
2007年より開始。実体験に基づいたノンフィクション的なエッセイを執筆。アクセス数も途切れず年々微増。不定期更新。
-
英語日記ブログ「Really Diary」
2019年より開始。もともと英語の勉強のために始めたが、今ではすっかり純粋な日記。呆れるほど普通の内容なので、新宅に興味がない人は読んでも一切おもしろくない。
-
音声ブログ「まだ、死んでない。」
2020年より開始。日々の出来事や、思ったこと感じたことをとりとめもなく吐露。死ぬまで毎日更新することとし、コンテンツ自体を現代アートとして継続中。
関連記事
「LIFE feat 吉野屋牛丼並盛」コンセプトメモ
人間のもっとも強力な本能は「生きようとすること」である。 生きるためには、なによ ...