遠く近くそして音も感触もなく過ぎ去ってゆく
2017/08/22
昨日で学校の実習がすべて終了した。最後の最後で天ぷら、刺身、な、定食。
もう、よくよく考えると恐ろしく妙な形をしたコック帽およびコック服を着ることはないだろう。
というわけで帰りに早速、実習のときに使う鉄板入りの靴(包丁等を落としても安全な作りになっている)をそこらのゴミ箱に捨てた。実習着については、適当な大きさに切り割いてブーツを磨く布きれにでもしようかと、エコなことを考えている。
学校自体に行くのもあと3回ばかり。特に感慨はない。ただ終わっただけである。
一年半も前から、学校に加え、実家に帰るまであと何日と数え続けてきたが、もう数えるほどの時間も無くなってしまった。
来週という、もう完全に感覚としても予定としても確実にとらえられるところまで来てしまった。
来てしまった、などと言っているが、これがまたあっという間にその日になり、そして数日前のことになり、数週間、数ヶ月、数年と、勢いよく過去の日々になってゆく。
ある人のブログに、去る人よりも見送る人のほうがさびしい気がする、と書いてあった。
確かにそうだろうと思う。去る人は、去ってゆくその行き先における変化が待っているわけだが、見送る者はあいも変わらぬ慣れ切った生活の中で、ただその人という存在のみが無くなるからだ。
つまり、去る者は、見送ってくれた人と去った先において共に過ごしたことがない。わかりやすく言えば「この店、あの人とよく来たな」とか、「ここに来て、よく何々したな」とかいう思い出がない。
人というのは、とても強く場所や場面と結び着いている。
だから、見送る人は悲しいのだ。その人以外は、何もかもそのままである、にも関わらず、その人だけが居ない。
去る者は、そういう意味で気楽ではある。しかし、悲しさがないわけでは、決してない。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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