最高の生活

  2017/08/22

楽しいような楽しくないような日々が、たらりたらり、つー、と、細く油を垂らすように続いている。

ぬるま湯とはこういうことだなあと思う。熱くもなく、冷たくもない。一番、ぼんやりとする温度。事実、いままでになくぼんやりしている。

こういうときに考えるのは決まって幸福について、人間について、そして死について。小人閑居して不善を為すの典型で、ちょっと、ぼんやりと、冗談まじりに、芥川の気持ちに思いを馳せてみたりする。ぼんやりとした不安。平穏な日常にこそ狂気が潜んでいるとかなんとかを、いつかどこかで読んだ。まあ、そこで言う狂気とは、退屈まぎれの不善のことであろう。

人間、ひまがあるとろくなことを考えないし、ろくなことをしない。

わたしは幸福か否か、生きるべきか死ぬべきかという二元論で考えるのは、もういい加減に幼いと思う。人生は二元論ではない。多元で、無限だ。

そう考えるとハムレットの「生きるべきか死ぬべきかそれが問題だ」というのは、ああ、若いなと思う。

しかしこの「若いな」という目線、なんとも嫌味ったらしく忌避すべきこの感慨を覚えることが、しかし、最近すくなくない。歳を取ったと思うと同時に、腐ってきたなあとも思う。自分自身の価値とか魅力とか、大丈夫かなと、不安になって、ちょっと、わからなくなる。だけど、そうは言ってもこのブログを褒められることがぽつぽつあるので、それで、ああ、なんとかまだ自分は大丈夫なのかなと、我が身を確認して、ひとりごちたりしている。

それにしても、いまのわたしの生活は、いったいどうなんだろうかという疑問というか不安が、口の中の舌のように終始ぬるぬると確かに在って、消えることがない。

話はすこし変わるが、昨日の毎日新聞のコラムで「きっと、うまくいく」(ラージクマール・ヒラニ監督)というインド映画が紹介されていた。

以下引用

青春コメディーだが、笑いは痛烈な社会風刺を包み、私たちにもチクリとくる。

経済勃興とともに、受験競争が過熱する。経済成長期の日本がそうだった。今、インドの激しさはよく知られるところだ。ストレスによる自殺の多さも指摘される。

映画は、出願40万通に合格200人という最難関工科大学が舞台。学長は「人生は競争に勝つか、死か」と言ってはばからない。

ロボットのような学生が多い中で変わり種のランチョーは学長に言う。「何のための1位です? 評価されるのは成績や海外での就職率だ。ここは学問ではなく、点の取り方を教えている」

ではお前が工学の講義をしてみろと引き出された教室。彼は黒板に2語を書き、意味を30秒で答えよ、と言う。

開始の声に皆はじかれたように本をめくり、隣をのぞき、必死で調べる。分かるはずがない。2語は親友の名をもじった造語で、本をいくら見ても意味は無いのだ。

彼は学生に問う。「僕がこれを出題した時、今日は新しいことを学べると思った人は?」。誰も手を挙げない。

「みんな競争に夢中だ。勝って何を得る? 知識? ノーだ。圧迫が増すだけだ。大学は圧力鍋じゃない」

彼は自由に教室を出入りし、学問を喜び、ドライバー1本の機械いじりで創造する。

対照的な学生チャトゥル。本を丸暗記し、他人の勉強を邪魔し、ひたすら1位を目指す。ランチョーに敗れるのだが、卒業10年後どちらが人生の勝者か、再会して確かめようと申し入れる。

10年後。350万ドルの大邸宅、温水プール、豪勢なリビングを携帯の画像に収め、海外の会社の副社長となったチャトゥルは高級車で自信満々に現れる。しかし——。

引用終わり。

妙になるほどなと思った。人生のビジョン。将来のビジョン。いったい、到達地点、終点はどこなのだろう。どこでなにがどうなったら、満足なのだろう。もちろん人生に完成はなくゴールもない。ただ延々と、生から死への一本道を強制的に歩かされるだけである。

しかしそこで、何かしらをしようと思う。何かしらを成そうと思う。思うというか、思う"べき"だと思う。しかしそれこそ、なにか大きな思い込み、刷り込みのような気がする。

人生には、なにか、もっと大事なことがあるのではないか。そのなにかがなんなのかはさっぱりわからないが、なにかがある気がする。でもたぶん真実は、なんにもなくて、ただただひたすらに無なんだろうなということを確信していたりもするから、どうにも始末が悪く、ぬるま湯でも自意識だけは旺盛な自分をもてあますばかりである。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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