わたしの悪趣味

  2015/07/03

寝る前にケータイをいじるのはよくない。というのも、画面の光で寝つきが悪くなるおよび眠りが浅くなるからである。

にも関わらず、私は毎晩いじっている。もはや習慣である。

それで何をしているかと言えば、残酷、惨殺、不可思議な事件を探しては読み入っているのである。

深夜1時もまわったころ、真っ暗な部屋で、ひとり住まいの31歳独身男性が、パンツ一丁でタオルケットにくるまって、「惨殺 事件」などで検索をかける。

例の北九州事件なども出てくるが、その他にもありとあらゆる痛ましい事件が出てくる。

名古屋アベック殺人事件、滋賀県青木悠君リンチ殺人事件、栃木リンチ殺人事件 、八王子の歯医者の女児死亡事件など、読んでいて金玉のつけねあたりが痛くなってくる(いや、お下劣だけれど本当だから。東京タワーの展望台の床がガラスになってるところに立った時と一緒)ような事件から、庄山仁くん失踪事件、松岡伸矢くん行方不明事件、加茂前ゆきちゃん行方不明事件、石井舞ちゃん行方不明事件といった、神隠しとしか思えないような超絶怪奇事件まで、とにかく興味のままに見て回る。

最近では、中国で6歳児が両目をくり抜かれる、なんていうとんでもない事件があり、夜闇の底の中で、うぉぉ……まじか……と、ひとり身もだえしたりしている。

そして往々にして非常な恐怖にさいなまれ、部屋の隅や、真っ暗な台所あたりになにか気配(妄想)を感じ、タオルケットを頭まですっぽりかぶって怯えながら眠りに着くのである。

え、毎晩? そう、毎晩なのである。何が楽しくて毎晩そんなことをやっているのかわからないが、とにかくこの種の事件に対する興味が尋常ではないのである。

それはきっと、それがどんなに怪奇でも不可解でも、自分自身が生きているこの世界で起こったことだという"事実"だからだろうと思う。

と、今日は記事を引用するつもりは無かったが、連想で思い出したので、先日読んだコラムを読んでいただきたい。

【しあわせのトンボ:「面白い」ということ=近藤勝重】

 小林秀雄氏が正宗白鳥氏との対談でこんなことを言っている。

 「事実に対する興味、これは人間どうしようもないものらしいですね。作りものではない、事実だというだけで、どうしようもない興味が湧いて来る」

 氏の「対話集」を再読し改めて印象に残ったくだりだ。続けて氏は、こうも言っている。

 「僕の家内なんか文学にはおよそ縁のない人間ですが、太宰事件にはたいへん興味を寄せる。やれ、すべった跡があったとか、なかったとか。女房だけじゃないですよ。僕だってそうですよ」

 太宰事件とは、1948年に太宰治が女性と玉川上水で入水死した事件のことで、要は事実の持つ強さをいうわけだ。

 ぼくら新聞記者は取り上げるニュースに対して、「面白い」という言葉をよく口にする。「原稿、面白いのか」「はい、面白いと思いますよ」といったデスクと記者のやりとりは、ほとんど日常的な会話である。手元の辞書によると、「面白い」の古語は「おもしろし」で、目の前が白く開け、心が晴れ晴れする感じを表すが、それが原義となって、「興味深い」「楽しくて夢中になる」「おかしい」などの意味を持つ言葉となったようだ。とりわけ「興味深い」が、ぼくらの使う「面白い」にぴったりくることを思うと、小林氏の言う事実の強さを抜きに、面白い記事など書きようがない気がしてくる。

 しかし面白くなければ売れない即売の週刊誌と違って、新聞は主として宅配だから、面白さの度合いは直ちに数字には表れない。その点で新聞記事の面白さは、記者一人一人の自覚によるところが大だが、といってぼく自身、偉そうなことを言えた義理ではない。

 四十数年の記者生活を振り返ると、至らぬ数々のことが思い出される。関係者に対する配慮と言えば聞こえはいいが、ついつい当たり障りのない話にした記事もあれば、こういう事実があれば、隠された真実も浮かび上がり、もっと面白い記事になると思いつつ、その努力を怠った記事もある。

 今さらながら、小林氏の言葉を心して受け止めたいと思う。(専門編集委員)

(毎日新聞 2013年08月02日)
http://mainichi.jp/opinion/news/20130802k0000e070230000c.html

我ながら今日のブログネタに対してすばらしいコラムを引き合いに出したものだと、自分自身ほれぼれしてしまう。そう、「事実の持つ強さ」、それがどうにもこうにも、「おもしろ」くて仕方がないのである。

事実は小説より奇なりとはよく言ったもので、「ありそう」と「実際あった」ことの差は、それこそ天と地ほど違う。

事実ほど興味をそそり、おもしろく、かつ恐ろしいものはない。

若干話は逸れるが、恐怖の対象というのは移り変わってゆくものだと思う。現代、たとえば、足のない幽霊を描き始めた画家と言われる円山応挙の幽霊の絵などを見ても、ちっとも怖くない。

これは思うに、"現代では"怖くないのであって、当時見た人々は相当に怖かったのではないかと思う。

というのも先日、薄暗い雨の日に相生橋のわきにある柳の木を見て思ったのである。柳という木は、よくよく見てみるとほんとうに不思議な形態をしている。ふつうの植物にしてみれば、ほとんど枯れているかのように垂れ下がっている。適当に擬人化すれば、「もう樹木であることをやめたいんです」と言わんばかりである。

それで、ああ、これはまったく応挙の描いた幽霊にそっくりではないかと気がついた。江戸時代、今よりも圧倒的に暗い夜道。あるいはほろ酔いで川辺を通り抜けるとき、だらんと垂れ下がった柳の枝がうなだれた人に見えて驚くということは、誰しも一度や二度は恐怖体験として経験したことだったのではなかろうか。だからこそ、それはリアリティとなって人々を恐怖させたのだ、と。

リアリティも時代とともに変遷する。いまは幽霊などより、よほど原発や核爆弾のほうが怖いだろう。

こう考えてくると、奇怪な事件への尽きない興味とおもしろさの要因は、以下の三つにまとめられそうだ。

1.ある事実と自身との距離
海外の事件よりも日本での事件、昔の事件よりも最近の事件のほうがおもしろい、ということ。

2.自身にも起こりうる可能性
明日は我が身と感じられるからこそおもしろい、ということ。

3.リアリティ
絵空事ではなく事実であるからこそおもしろい、ということ。

というわけで、今夜もおもしろい事件を探すのである。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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