親子の遺伝のなんたるか
2020/08/25
最近は連日天気が悪い。一日中降ったり止んだりぐずぐずぐずぐず呆れるほど天気が悪い。
まるで最近の自分の心情そっくりで、ああ、これは確かにタチが悪くてはた迷惑だとひとり勝手に反省してみたりする。
人間が天気が"悪い"というときは雨天と決まっているが、しかし、よくよく考えると良いも悪いもなんと主観的な価値観だろう。
たとえば、運動会が中止になればいいと願う人にとっては雨天こそ好天となるだろうし、まあ、天気に四の五の言ってもしょうがないので日日是好日ということで生きるに限る。
どうでもいい連想で思い出したが、ちびまる子ちゃんで風邪銀行というのがあった。運動会を休みたいまる子は想像する。風邪銀行に行って「明日は運動会なので、タチの悪いやつをひとつください」と、ただそれだけのことなのだが、「タチの悪いやつをひとつ」という物言いが妙にツボで、今でもはっきりとそのコマが思い出せる。
閑話休題。
さて、と言っても、これといって話題はない。誰かのせい、天気のせい、自分以外の何かのせいにして酒浸りの日々を送っていて頭が回らずネタがないので、人の力を借りることにしたい。
まずは下記をご一読いただきたい。
【発信箱:柔道耳=落合博(論説委員)】
お見合いで互いに相手を気に入ったが、断りの連絡が入った。女性の両親が反対しているという。男性は落ち込んだ。あきらめきれず、女性の両親に直談判した。男性の両耳がカリフラワーのような形状であることを見て、子どもに遺伝することを恐れたらしい。男性は柔道が原因であることを説明して誤解を解き、2人はめでたく結婚することができたという。
井上靖(1907〜1991)の自伝風小説「北の海」にこんな場面がある。第四高等学校(金沢)の柔道部の男子学生が変形した耳を見せながら「女がないと思えば、耳がこんなにつぶれても平気なんです。女があると思えば、誰だって、耳をこんなにするのは考えますよ」と言う。柔道家でもある作者は「得体(えたい)の知れぬ肉のかたまり」を「きくらげ」と形容している。
四高は当時、寝技中心の「高専柔道」の強豪校だった。講道館柔道とは異なり、立ち技から直接寝技に引き込むことが認められていて才能よりも練習量がものを言う柔道だ。稽古(けいこ)では畳に耳を擦りつけることが多く、内出血を起こしやすい。
放置した結果が「きくらげ」であり、「ぎょうざ耳」と呼ばれることもある。
全日本柔道連盟の新会長に就任した宗岡正二さんもこの耳の持ち主だ。柔道三段で、東大柔道部では主将を務めた。東大は高専柔道の流れを受け継ぐ「七帝柔道」の一角を占めている。不祥事が続き、課題山積の柔道界。宗岡さんには「寝業」ではなく、立ち技も駆使してほしい。
冒頭の話に戻れば、2人の間に生まれた息子は成長して柔道を始めた。その耳は父親と同じカリフラワーになっているという。
(毎日新聞 2013年08月29日)
http://mainichi.jp/opinion/news/20130829k0000m070171000c.html
たいしておもしろい話でもないが、最後のオチがよい。人間にとっての遺伝のなんたるかを如実に物語っているような気がする。
もちろん姿かたちほどわかりやすい遺伝もないが、良くも悪くも親の背中を見て子は育つのである。
高血圧や糖尿病、果ては悪性新生物、いわゆるガンの親を持つ子供は同じ病にかかりやすいので遺伝だと言われるが、その内実は、むしろ同じ食生活や生活リズムを送っていることのほうが影響は大きいという。
よっぽどの家庭内不和でない限り、まったく別々の食生活・生活リズムということはないだろう。特に幼少のうちは。つまり塩分の多い食生活や、夜型の生活スタイルといったことを子供も受け継がざるを得ないということだ。
親の患った病気を子も患うというのは、要するに、同じものを食べて発生する集団食中毒となんら変わらない。
このように考えると、愚かな親のもとに生まれ落ちた子は不幸と言わざるを得ない。もちろん反面教師という可能性も無くはないが、それはやはり少数派であり、多くの子供は白紙で、つまり「素直」に生まれてくるのであるから、親の性質をそっくりそのまま受け継ぐのがもっとも自然なことだろう。
まあ、みんながみんな賢明になれるわけもないが、最低限の分別、道徳、倫理くらいは、親として以前に、人間として必須だろうと思う。
うろ覚えだが、イギリスあたりの誰か政治家が言ったという言葉がある。
教育は重要だ。なぜなら子供は未来の100%なのだから。
トンビがタカを産むわけはないという話。それこそ、自らの資質を顧みれば、その子供のタカも知れるだろうということで、お開き。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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