労働意欲の消滅
2017/08/22
なぜ人は働かねばならないのか。
おまえは何歳だよというような、とても素朴な、いまさらな疑問を、最近しばしば思う。
生活するため。そう言われれば、それなりの説得力を持っていて、そこで終了なのだが、しかし、では、なぜに生活しなければならないのか。
生活とは、突き詰めれば生きることであろう。しかし、人はなぜ生きなければならないのか。
生まれたからには、生きねばならない。しかし、産んでくれと頼んだ覚えはない。
キリスト教では、自殺は罪である。しかし、わたしはキリスト教ではない。
あなたが生きていないと悲しむ人がいる。しかし、自分の気持ちがすべてなのであって、どれだけ人が悲しもうが知ったことではない。
労働の意味が、生きる意味にすり替わっている。
なんで、働かないといけないの。たいして楽しくもないのに、つまんないのに、どうしてこうも毎日くだらない時間を粛々とやり過ごさねばならないのか。
イコール、なんで生きないといけないの。これといって良いことも、楽しいことも、ない、ような、いや、少しは、ある、ような。
こういうことをとりとめもなく考えていると、どこまでも遠い目になって、目の前のディスプレイがかすんできて、この世からフェードアウトする感じになってきて、涙腺がちょっと、もやり、もやり、ゆるんでくる。
どうして、なぜ、生きなければならないのか。なんのために生まれて、なんのために生きるのか。勝手にこの世に産み落とされて、そのうえ、ひどく恣意的に殺される。絶対に、死ぬ。
いまは、死んでない。そう遠くない未来、確実に死ぬのだけれど、いまは、死んでない。
昨夜もしたたか痛飲したが、今夜もまた、わたしという人間の人生を問いたい、という理由をつけて、痛飲して死にたい。
もうなんか、いろいろめんどくさいし、うっとうしいし、かったるいし、ちょっと死んでくるわ、ってことにしておきたい。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
ご支援のお願い
もし当ブログになんらかの価値を感じていただけましたら、以下のいずれかの方法でご支援いただけますと幸いです。
Amazonギフト券で支援する
→送信先 info@tomonishintaku.com
ブログ一覧
-
ブログ「むろん、どこにも行きたくない。」
2007年より開始。実体験に基づいたノンフィクション的なエッセイを執筆。アクセス数も途切れず年々微増。不定期更新。
-
英語日記ブログ「Really Diary」
2019年より開始。もともと英語の勉強のために始めたが、今ではすっかり純粋な日記。呆れるほど普通の内容なので、新宅に興味がない人は読んで一切おもしろくない。
-
音声ブログ「まだ、死んでない。」
2020年より開始。ロスのホームレスとのアートプロジェクトでYouTubeに動画をアップしたところ、知人にトークが面白いと言われたことをきっかけにスタート。その後、死ぬまで毎日更新することとし、コンテンツ自体を現代アートとして継続中。
- 前の記事
- 日々の無味礼賛
- 次の記事
- 料理は私のためならず