正しくも間違いでもなく、ただやる気がなく、ただ眠い

最終更新: 2017/08/22

無気力である、なんて書いたらそれでもうおしまいである。

ああそう、ふうん、で? それ以上のなにものでもない。小説の書き方の本にもそのようなことが書いてあった。悲しい、苦しい、なんて書かずに、そのように思わせるのが小説というものだろうと。

なるほどなと思う。昨日のブログを書いたあとで、そのことを思い出した。さびしいなんて、直接的な表現は三流だよなと。いや、小説家になるわけじゃないけれど。いや、あわよくばそれでもいいのだけれど。

昨夜、またこれからがんばろうと思い、四時半に目覚ましをかけて、10時半に床についた。

目覚ましは設定した時刻に、正しく鳴った。機械だから当たり前である。

ぼくは目覚ましの音を聞いて、目覚めて、そして止めた。しばし、まどろんだ。それをたぶん、十回くらい繰り返した。

最後に目覚ましではなく自然に起きたのは7時52分であった。ああ、終わったなと思った。

ぼくは家を出るまでに最低でも一時間、いや、一時間半は必要なのである。そこから用意すれば、家を出るのは9時半である。9時半と言えば、いつもならば、すでに職場のある渋谷駅に到着している時刻である。

とはいえ、ぼくの会社はフレックスタイムなので、遅刻とかそういう概念は一般的な企業に比べれば無いに等しい。いつもより遅く帰ることになるだけである。

そういうわけで、慌てるわけでもなく、ゆらゆらと起き上がり台所に行く。ラジオのスイッチを入れる。FMの、放送大学が流れる。

朝ご飯を食べる。おとといの夜に作ったカレーである。さといもと、オクラと、牛タンが入っている、中辛のバーモントカレー。別にこだわりカレーでもなんでもない。たまたま冷蔵庫にあった食材を何も考えずに突っ込んだだけである。

ごはん(一合)は6時に炊き上がっており、二時間ほど保温されている。半分はお弁当に詰めて、半分はお皿に盛る。カレーをあたためて、かける。

テーブルに腰かけて、本を読みながら、もそもそと食べる。ふつうに20分くらいかけて食べる。食べ終わると、お茶を入れる。いつもはコーヒーだが、今日は紅茶にした。

また一冊、本を読み終わる。写メを撮ろうとするが、撮れない。最近iPhoneのカメラが壊れてしまったのである。修理に出したいのだが、めんどうくさいことこのうえない。

この後はトイレという一仕事があるのだが、そこは割愛したい。

9時26分に、家を出る。とても天気がいい。

電車に乗る。通勤ラッシュは過ぎており、かなり空いている。本を読むが、眠くて仕方がない。

席が空いたので、座る。まどろんだ。

夢か、妄想か、よくわからない雑多な映像が脳裏をかけめぐった。それはきっとわずかな時間に違いなかったが、途方もなく長い時間に感じられた。

渋谷駅に着いたころには、朝が昼の気配を吸い込み始めていた。その空気の中を、ぼんやりと歩いた。

仕事のことも、誰かのことも、自分のことも、未来のことも、なんにも頭になかった。妙に心地よかった電車の中のまどろみのことだけを、ただただ、いつくしむようになぞった。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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