そして、別れの朝
2015/07/03
今日で広島の生活、広島の会社での勤務も終了である。
2月のバレンタインデーに帰ってきて、8ヵ月くらい。
短いと言えば短いが、自分にとっての故郷とは何か、広島とは何か、地方とは何かというようなことが身に染みてわかった気がする。東京にあのまま居たのでは、決して見えなかったし気づけなかったこと。東京の対立項としての地方。その現実。
まあ、実にいい経験であった。しかし、たとえば単身赴任とかで、8ヵ月後にはまた東京に戻るという前提で生活していたなら、ぼくにとってのこの日々はまったく違ったものになっていただろう。
全身全霊をかけて、一生懸命、この広島で暮らそうと思ったし、楽しくやろうと思ったし、事実そのように努力したし、しかしどうにも「いまここにいる意義」を見出せなかった。
じゃあ東京にいる意義は見いだせるのかと言えば、そんな固苦しいものはなく、ただ単に、また東京で暮らすんだと思うと心がはずむ。樋口をはじめ、かけがえのない友達がいる。東京にまた住むと伝えると喜んでくれる人が少なからずいてくれる。
たぶん、「いまここにいる意義」なんてことを考える時点で、そんな意義が無いことの証左に他ならないのだろう。
たとえば心から楽しいとき、人はそのことについていちいち考えない。楽しくない時にこそ、「楽しさとは何か?」などという七面倒くさいことを考えるのである。
それにしても、自分自身、まさか年末にはまた東京で暮らすとは思わなかった。まったく、人生というのはわからない。いや、わからないのは人生ではなくおまえだと言われそうだ。
次にこの地に帰ってくるのは、親類に慶弔のたぐいがなければ、来年のお盆あたりだろう。
そう考えると、一応しみじみとはする。しかし、それは広島という土地に対する感傷ではまったくない。親兄弟や甥との別れ、つまり親しい人との別れに対してである。
次に帰ったとき、父母はまたいっそう歳を取り、しわもしみも増やして衰えているだろう。甥はまたたく間に大きく育ち、ぼくの名前も、姿かたちも忘れているだろう。
まあそれは、近かろうが遠かろうが、すべての人間に等しく訪れる変化である。というか人として生まれたからには逃れようのない宿命である。それが嫌なら人間をやめるしかない。
そういうものなのだと、すべてをただただ受け入れる。さまざま思いをはせながら、泣いて笑ってもんどり打って、しかし粛々と生きていくだけである。
最近よく思う。だいたいのことはどうでもいい。ほとんどのことは思考する価値もない。
それはともかく、出身地を聞かれて広島と答えるのは好きだったが、広島に住んでいて広島と答えるのはなんだか芸が無さすぎて、馬鹿っぽくて、どうにもこうにも嫌いだった。
また東京で、出身地を聞かれたい。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
ご支援のお願い
もし当ブログになんらかの価値を感じていただけましたら、以下のいずれかの方法でご支援いただけますと幸いです。
Amazonギフト券で支援する
→送信先 info@tomonishintaku.com
ブログ一覧
-
ブログ「むろん、どこにも行きたくない。」
2007年より開始。実体験に基づいたノンフィクション的なエッセイを執筆。アクセス数も途切れず年々微増。不定期更新。
-
英語日記ブログ「Really Diary」
2019年より開始。もともと英語の勉強のために始めたが、今ではすっかり純粋な日記。呆れるほど普通の内容なので、新宅に興味がない人は読んで一切おもしろくない。
-
音声ブログ「まだ、死んでない。」
2020年より開始。ロスのホームレスとのアートプロジェクトでYouTubeに動画をアップしたところ、知人にトークが面白いと言われたことをきっかけにスタート。その後、死ぬまで毎日更新することとし、コンテンツ自体を現代アートとして継続中。
-
読書記録
2011年より開始。過去十年以上、幅広いジャンルの書籍を年間100冊以上読んでおり、読書家であることをアピールするために記録している。各記事は、自分のための備忘録程度の薄い内容。WEB関連の読書は合同会社シンタクのブログで記録中。
- 前の記事
- 歳を取り、光陰矢の如しを思い知る
- 次の記事
- 再・東京生活
関連記事
飽きるとは何か(子供の感性を失った大人の飽きについて)
2016/04/24 エッセイ, 家族・友人・人間関係, 日常, 社会・時事問題
「悪いな。もう、おまえには飽きたんだ」 昔の安いドラマにあるお決まりのセリフであ ...