信仰心の作り方
2017/08/22
信仰について考えていると、ついでに思い出した。
7年前くらいだろうか、ヒモをしていた頃、家の近くの教会に通っていた。すべての人にひらかれた、日曜礼拝である。
小田急線成城学園前駅と京王線仙川駅のちょうど中間あたりに住んでいたので、最寄りの仙川教会に行くことにした。
別に神様におすがりしたい危機迫る悩みがあったわけではないが、その頃も"漠然と"救われたいと思っていた。それに、これまた"漠然と"宗教に興味があったので、一度行ってみたかったのだ。
はじめて足を踏み入れた教会は、洋風の図書館といった感じであった。
体育館のように天井の高い礼拝堂に入ると、映画でよく見るような木製の長椅子が規則正しく据えつけてあった。ぼくは空いている席を探して、遠慮がちに腰掛けた。
礼拝が始まるまでの間、周りの人は談笑したり、あるいは聖書を読んだりしていた。ぼくは何も持っていなかったので、手持ち無沙汰で、ただただ、その未知の雰囲気の中でぼんやりと天井のはしっこあたりを眺めていた。
「初めてですか?」
不意に、となりの中年女性がぼくに話しかけてきた。ぼくが答えると、彼女は「これ、使って」と言って、聖書を差し出した。それはどうやら、常用する聖書とは別の薄めの聖書で、いわゆるポケット聖書といった感じであった。
「今日はこのあたりの説法があるから」と、マタイだかマルコだかエレミヤだかの第何節だかのページを指し示した。
ぼくは礼を言って、その箇所を読むともなく目を落とした。自分の聖書を持ってくればよかったなと思った。ぼくはすでに、新訳と旧約の聖書の両方を一通り通読していたのである。ほとんど意味はわからなかったので、あくまでも通読であって精読ではないが。しかし、こと日本の一般庶民で聖書を通読しているという人は相当にまれであることは確かだろう。
とにかくは、聖書を眺めつつ礼拝が始まるのを待った。
黒服を来た牧師が入ってきた。仙川教会はプロテスタントなので、牧師なのである。ちなみにカトリックの場合は牧師ではなく神父と呼ぶ。
その黒服もまた、映画で見たことがあるような感じだった。振袖のようにたもとがゆったりと垂れていて、それで、両手を天に向かって広げ「アーメン」とやると、なんとも言えず荘厳な雰囲気が漂った。それはライオンやクマといった動物が、身体を大きく見せようとする示威行動に似ていた。
牧師は、今日はマルコの福音書8章にある、七つのパンを四千人に分けた奇跡について話したいと思います、とか、とにかくはそういう感じで、毎週聖書のどこかしらの箇所について説法をしているようであった。あくまでも聖書がベースだが、そこにちょこちょこと昨今の時事問題を絡めて、牧師は饒舌に語った。
それが終わると、賛美歌を歌った。皆当然のように歌い始めたが、ぼくはよくわからないので、入学式や卒業式である国歌斉唱と同じように、適当な口パクでその場をやり過ごした。
終盤に差し掛かったとき、やや唐突に牧師は言った。「今日は新しく礼拝に訪れた方がいます。皆さんに紹介しましょう」
ぼくは驚いて周りを見回したが、どう考えても自分のことのようであった。それからとなりの先ほどのおばちゃんに小突かれて、仕方なくぼくは立ち上がった。
立ち上がって改めて見渡すと、40人〜50人くらいは居たろうか。怖気づきながらも、ぼくは「新宅といいます。よろしくお願いします。」と、皆に向かって頭を垂れた。
「祝福しましょう。アーメン」
アーメン。牧師の声に、皆が続いた。
どうやらぼくは祝福されたようであった。もちろん、だからと言って急に幸福になったとかではまったく無いが、それはあまりにも非日常的な感じで、ああ、なんだか良いなあと、ぼくは思った。
祝福しましょう、アーメン、はい祝福しましたよ、って、こう文章で読むとバカバカしい気がしなくもないけれど、実際に"祝福される"と、なんだか、まあ、今まで味わったことのない、奇妙というか、なんというか、しかしとにかくは、悪くはなかった。
だけど、未だに信仰心が芽生える気配はこれっぽっちも無い。アーメン。祝福されたのに。アーメン。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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