新しいのか古いのか、とにかくは妙な時代に突入した、らしい
2017/08/22
塩村議員へのヤジについて思うところがあった。つらつら書こうかとも思ったが、一言でまとめる。全部ひっくるめてくだらない。
中二病かピーターパン症候群あたりをこじらせているぼくが言える立場でもないが、心の底からおまえらガキかよと思う。中学高校の学級会じゃないんだから、もっと普通にちゃんとやってくれ。別に多くは望まない。ただ、当たり前にやってくれ。
そんなこんなで、なんだかなあと思っていたところへ、昨日の新宿での焼身自殺。集団的自衛権についてだかなんだかの抗議だったらしいが、それに対する政治家どものコメントがまた違和感たっぷりだった。
「ひとりの人間の迷惑行為が民意なわけがない」とかなんとか言ったって。そりゃまあ、焼身自殺までしたとはいえ、たった一人の主張を民意とは言わないけれども、一応は言葉で飯を食ってる政治家ならもう少し言葉を選べよと思う。
一人の人間の命がけの行為を”迷惑行為”なんて表現をしたら、それこそ”民意”を逆なですることになるに決まっているではないか。一流大学を出ているのに、そんなことすらもわからないのだろうか。
そして少なくとも、焼身自殺を図ってまで主張したいことが彼にはあったのだろう(キチガイの類でなければ)。果たして、いまの政治家に命をかけてまで主張したいことがあるだろうか。あるならばそれこそ立派であるが、そんな奴はただの一人もいないと思う。
むろん、焼身自殺を図った勇気や度量をほめたたえてもしょうがないし、そういう話ではない。しかし、焼身自殺は他ならぬ本人が並々ならぬ苦痛を伴うと同時に、非常なメッセージ性を持つ自殺方法である。
つまり、鉄道への飛び込み自殺などのように衝動的にできるものではなく(もちろん熟考の末に飛び込む者もいるだろうが)、基本的には何らかの確固たる意志、それも相当に強固な動機がなければ為し遂げられるものではないのだ。
レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのアルバムのジャケットにもなった、1963年に焼身自殺した僧侶ティック・クアン・ドックにしたって、時の政権に対する強烈な批判があってこそのものである。また、幼少の頃より叔父に性的虐待を受け続けていた少女が、庭で焼身自殺をしたという例もある。これもまた、ひとつの批判であり、声にならないメッセージが込められていると見て間違いはないだろう。
そのような行為を、「迷惑行為」という言葉で捉える神経に、何かそら恐ろしいものを感じる。そのような漠然とした感じに対して、現代美術家の村上隆氏が、ひとつの答えのようなツイートをしていた。
『焼身自殺の件は、ガチで来るものがある!そういう時代に突入したという幕開けだ。』
確かに、漠然とではあるが、すごくそういう感じがする。何か、時代が大きく変わったような、あるいは変わっていくような、そういう感じがする。その変化はおそらく、悪い方向にだろう。
また、陸上の為末大氏は、下記のようなツイートをしていた。
『もし男性の死を無駄にしないように活動が活発化して、本当に集団的自衛権を止められるような事があれば、私達は自爆テロ的手法を学習してしまう。つまり何か大きな政治的決定を阻害したければ、誰かが衝撃的な手法で死ねのが効率的という学習。』
これはこれでなるほどなあと、考えさせられた。仮に今回の件によって集団的自衛権が止められたとしたら、それは良いことなのだろうか。その勝ち取り方は、民主的で、平和的なことなのだろうか。焼身自殺をしたおっさんは英雄だろうか。
はっきりとはわからない。しかし、安倍政権がいかに卑怯で汚いのだとしても、そのような勝ち取り方は、どこか前時代的で、それこそ、すごく戦争的ではないだろうか。
ひとつ言えるのは、日曜日の白昼、新宿のど真ん中で、何にしろ激しく思うところのある人間が、焼身自殺にまで及んでしまうような時代がきたということだ。
なんだか、平成という時代が終わったような気がする。新しい時代、しかし、暗い時代が始まったのだという気がする。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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