ほんとうに風邪
2015/07/03
ここ一週間ほど、風邪をひいている。うそっぽいやつではなく、ほんもののやつである。
のどの痛み、発熱、そして咳と続いた。今日も今日とて咳がひどい。そんなこんなで、会社を休んだり、週末を挟んだりもしたが一向に治らず、昨日、ようやくで病院に駆け込んだ。
朝、といっても10時過ぎであるが、来院者の9割は老人であった。いわゆるよぼよぼな方々が、よわよわしい生命力で、そこここに腰かけている、というよりも、佇んでいる、と言ったほうが正しい感じで並んでいた。
人間みな最後はそうなるとはいえ、久しぶりに老人というものをまじまじと直視した気がする。それはたぶん、単身世帯や核家族の弊害の一つであろう。そう、老いを我がこととして、リアルに感じる機会が少なすぎるのである。
わたしもきっとああなる、いや、絶対に、あのようになる。ぼくはそんなふうに思いながら、雑誌「オレンジページ」の「寝坊した朝の超かんたんお弁当特集」を読むともなく読んでいた。
ということは、寝坊はしてしまったけれども意地でも弁当を作って持っていきたいという、時間にはだらしないが弁当を作る意志だけはやたらと強固な、つまりは分裂気味な精神構造を有した人が一定数存在しているということである。日本の将来がちょっぴり心配である。
さて、新宅さんと呼ばれて診察室に入る。
いかにも温厚そうな、中年の医者が、ぼくに症状を尋ねる。ぼくは前述の症状を、枯れたダミ声で伝えた。
医者はぼくに口を開けるように言い、カップアイス用の木製スプーンを金属にしたようなやつで、ぼくの舌を抑えて、喉の様子を見た。
「これは腫れてますねえ」
「え”え”、ぞうでじょう」ぼくは答えた。
それから、看護婦の補助のもと、シャツをめくり上げられ、腹部と背部に聴診器が、それぞれ1秒ずつ当てられた。
今まで人並みに医者のお世話になったことがあるが、今までで一番短い聴診であった。医者は、どう考えても具体的な音を何も聴いていない、いや、そもそも聴く気がないのだろう。だって、来客を告げるインターホンの音でさえ、1秒ではちょっと反応できない。
ということは、聴診器を当てたので診察しましたよ、つまりお役所で言うところの、ハンコを押したのでチェックしましたよという、日本の代表的な悪習のひとつ、中身は無くとも形式さえ踏んであれば問題ないという、形式偏重、形骸化の一種であろう。誠にけしからんことである。
ぼくは非常にけしからん医者に問うた。「治すのに、何か気をつけることはありますか」
「そうですね。ゆっくり休むことですね」
ぼくは、感激した。なんと、1秒でも、ちゃんと診察できていたのだ。
ぼくは「わかりました、ありがとうございます」と言って、全幅の信頼を持って医者の言いつけを守ることにした。つまり、即座に会社を休むことにしたのであった。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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2007年より開始。実体験に基づいたノンフィクション的なエッセイを執筆。アクセス数も途切れず年々微増。不定期更新。
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