金のまたの名を自由という

  2017/08/22

今朝、絵を描いていると、ふと思ったので以下のようなツイートをした。

”時間を買いたい。一日一万くらいで売ってくれと思う。そう考えたら、学生のころは、その一日一日を親が“買ってくれてた”から楽だったんだなあと思う。今は自分で買わなくちゃいけないだけか。なるほど。ひとり深く納得。”

すると、なかなかに感ずるところがあったらしく、複数回にわたってリツイート及びお気に入りに登録されることとなった。

ちなみに、リツイートとは、Twitterにおいて他人のつぶやきを見て、なんかいいこと言ってるなあ、みんなにも知ってほしいなあ、ポチリ、という行為のことである。まあ、現実で言うところの「奥さん!四丁目のスーパーで特売してるわよ!見てよこの立派なおネギ!これで88円だったのよぉ!」的な情報共有行為である。

ついでにお気に入りについても説明しておくと、みんなに知ってほしいというほどではないが、ちょっと気になる感じ、まあまあねということである。こちらは現実でいうところの、スーパーで買おうと思った商品をカゴに入れてレジに並んだものの、自分の番が来る直前になってやっぱりいいやと棚に戻しに行くような感じと言えばおわかりいただけるだろうか。

それはさておき、人望も人気も無く、普段それほどリツイートされることもない私は、や、これはどうやらオレってば気の利いたことを言ったらしい! と舞い上がってしまったのである。

そのような猿が木に登って書き散らしてしまったのが本日のブログである。

さて、今、私は本気で時間を買いたいと思っている。冗談抜きで、一日一万円で売ってくれる者があれば、迷うことなく消費者金融にでも手を出して、少なくとも30日ばかりは買うであろう。

というか、この時点でいろいろと終わっている気がしなくもない。つまり、33歳にもなって貯金が30万円も無いということである。これこそ、そもそもの大問題だと思われる方も少なくはなかろうが、何を隠そう、私は幼少の頃より宵越しの金は持たない筋金入りの浪費癖の持ち主なのである。

結婚でもしない限り、この「エセ江戸っ子気質」が緩和されることはないであろう。しかし、それでも買いたいのである。時間を。

誰かが言っていた。お金とは自由である。だから、貯金が減ると、自由が減ることと同義なので、焦るし不安になるのだと。

なるほどなあと思う。たとえば、1万円とは、無職で無為な一日を謳歌することができる商品券だとも考えられるわけだ。だとすると、サマージャンボ1億円などというのは、「1万日ほど寝て過ごしてかまわん券」とも言えるだろう。

しかし、1万日とは年換算にして約27年。「はい、今日から27年なんにもしなくていいですから」って言われても、という気もする。

そう考えると、モモではないが、時間銀行みたいなものがあったらいい。思いのままに、時間を預けたり、おろしたりする。

たとえば待ち時間や暇な時間。今から15分ばかり要らないので、預けます。そうやって貯める。あるいは今から8時間ほどゆっくりしたいので、下ろします。

最高に効率がいい気がする。ネットバンキングが普及した現代ならばなおのこと、おそらくは多くの人が恐ろしいほどの小刻みで、預け入れと引き出しを繰り返すだろう。

無駄な時間はあまりにも多い。というか、気に食わない、不本意な、つまるところ”不自由な時間”ばかりが夥しい。

それは、自由の別名らしい、お金が無いからなのだろうか。

まあ、確かに、私の預金口座など四肢切断の憂き目にあっているかのようではある。にも関わらず、どうして、それほどまでには不自由さも感じていないのもまた事実である。

それはきっと、現在一応は健康体であることが大きいだろう。そう、健康は金では買えない。もちろん、家族や恋人、愛や友情も金では買えない。

とかなんとか言っても、金があれば水も食糧も酒も女も家も買える。ロマンもクソもないが、実際のところ、ほとんどすべてのものが買えると言っても過言ではない。

ロマン的なるものを抜いてしまえば反論の余地はなく、金は自由の別名というか、自由そのものなのかもしれない。

結論、貯金しよう。でもいつか、何をしたってどうせ死ぬ。そう反射的に思ってしまうから、というか、歳をとればとるほど”どうせ死ぬ”はいよいよ現実味を増し、いまにもつかみかかられそうな肉感をさえ帯びて強烈になるばかりなので、あの世に持っていけるものはなしと、今日もまた宵越しの金など無いのであった。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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