祭りに立ち止まれるこころ

  2017/08/22

先日、昨日の記事の吉野家の帰り道、わたしの仮住まいの町、登戸では、お祭りをやっていた。

お祭りというか盆踊りである。

しかも本番ではなく練習であった。

そのときのぼくの気持ちとはあまりそぐわない、超陽気な音楽がながされ、老若男女がありゃこりゃそれあれあられろ、とかなんとかかんとか、とにかくは平日にも関わらず、みなさん陽気に踊ってらっしゃった。

なんとなく、いいなあと思って、ぼくは一度通り過ぎてから、というのもそのときぼくさっき行ったばかりの吉野家にもう一度行くところだったのである。

というのも、お新香、キムチ、追っかけ豆腐しらたきなどなどを撮影して、さて一番メインの牛丼を撮影しようとしてみると、持ち帰り牛丼の器になにやら見慣れぬシールが、「チーズ」と書かれたチーズが貼ってあるのである。そしてチーズの香りがするのである。

開けてみると、牛丼にとろーりチーズがとかされかかっているのである。

ぼくは、ええええええええええ〜、まじかよ〜、と思った。確かに追っかけ小鉢のチーズを頼んだのではあるけれど、チーズを勝手にかけて溶かせとは一言も言っていないのである。勝手なことはやめていただきたい。そりゃあぼくが"ふつうに食べる"お客様であれば、チーズはとろーり溶かして牛丼にのっけてくれてありがとうなのだが、私は撮影をしたいのである。

どうしよう、これでとりあえず撮影しようか、いやしかし、しっかり牛肉がチーズと絡みあってしまっている、とろーり。それはもう、とろーり。

だめだ……。

それでまあ、仕方なく重い腰を上げて吉野家に舞い戻って、申し訳ないのですがチーズと牛丼を別々にしてほしいのですがと申し出て、作り直していただいた次第。昨日ご紹介した超小人クレーマーで店内の空気が疲弊しているだろうから、低姿勢で丁重にお願いした。

またクレームかと怯えていたわけではあるまいが、ものの数十秒で、迅速に作り直してくれた。

しかしさきほどのチーズからみ牛丼は100パーセント廃棄となってしまうだろうことが、少々心苦しくはあった、が、しかしこちとら目的は天下のアートである。そう、何を隠そうわたくしはアーチストだからして、しょうがないのである。いくら世界のどこかで飢餓貧困によって女子供が人間が何人死のうとも、アーチストというものはそれらを無視して、黙々と自分の仕事に邁進する生き物なのである。むしろそれが商売である。というか人間なんてそんなものである。世界で一日に何千人と死んでいたって涙一つ出ないくせに、むしろ笑って暮らしているくせに、友人親族の類が一人死んだだけで、滂沱の涙を流すのである。世界はグローバリズムなんてものが唱えられるとうの昔から、とてつもなく小さかったのだ。

まあそういう主張はさておき、その帰りに遭遇したお祭り(ほんとは行きの時もやってきたけど)。

そう、なんかいいなあと思って、ちょっと缶ビールを買ってきて、近寄って、フェンスに寄りかかって、眺めた。

輪になって踊ろうなんて歌があった気がするが、意外に、輪になって踊っていたその光景は、どうしてなかなか悪くなかった。むしろよかった。いやもっと、素敵だった。

ゆったりとした動きで、手をあっちやこっちにかざしてみたり、手をたたいてみたり、くるりと回ってみたり、まあそうして踊りってやつをしながら、少しずつ全体が回転していく。

えもいわれぬ連帯感。みんながそこにいて、踊っている。どこの誰ともわからないが、人々が集まって、その空気を共有している。ベタベタだが、絆なんてものを思った。

なんか思うんだけど、言葉で理解できるようなものって、たいしたものじゃないよなと思う。

ほんとうに大事なものは、いつだってえも言われぬ、言葉には表しがたい、空気である。

ただただ、ただただ、こころよい空気がそこにあった。

——みなさん、今日の練習はこれでおわりです。ありがとうございました。明日も七時より練習をしますので、よろしくお願いします。ありがとうございました。ありがとうございました——

その場から離れるのが、名残惜しかった。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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