べつに、空を飛びたくない。

最終更新: 2015/07/03

鳥のように空を飛ぶには、新生児にボディビルダーの胸筋をつけたくらいの肉体でないと、むりらしい。

連日12時間近く寝てしまった。しかし罪悪感はない。ふだんの疲れが溜まっていたんだねと、すんなり納得できる。

と言いつつ、罪滅ぼしに二週間近くごぶさたのランニングにでかけた。

午前八時前。少年野球が練習をはじめていた。監督が、じゃあいくよーと言ってノックを始める。

打音と同時に白球が雲に溶ける。少年は白球を追う。一歩下がったら前に出て取れるよーと、監督は指導する。

やさしく情熱のある監督である。と思ったら大間違いで、この男、いつかアウトドア用のイスに腰掛けて、タバコをふかしながら、もう片方の手にはメガホンで、「おまえらいい加減にしろよ!そこでボール落としてどうすんだ!」と怒鳴っていたのを、ぼくは知っている。

空を見上あげると、わざとらしいような雄大さで、バランスよく雲が広がっている。

こういうのを見て、昔の人は空を飛びたいと思ったんだろうかと、なんとなく考える。

気球のモンゴルフィエ兄弟、グライダーのオットー・リリエンタール、そして飛行機のライト兄弟。

でも、いまの人は空を飛びたいとは思わないだろうなと思う。空を飛ぶよりも、逆に、地下に潜ることを選びそうな気がする。

空を飛びたいと思ったのは、この地上での現実がつまらない、苦しい、つらい、悲しい、そういう世界だから、あの鳥のようにどこか遠くへ飛んでいってしまいたいという願いではなかったろうか。

いまは、少なくとも先進国では、地上はほとんど楽園だろうと思う。仮に翼を与えられても、むしろ自分で切り取るかどうにかして、とにかくは地上に張りついていそうな気がする。

そう、空にはなんにもない。

なんにもない空。いつかの人々は、そこに自由な世界を見出して、夢や希望を空が落ちてくるかというほどに重ねて貼り付けて、そうして空高く飛んでいきたかったのであろう。

しかし、いまでは地上でも十分に自由だと思う。なんにもない空に飛びたつなら、むしろ何かありそうな地面を掘ることを選びそうな現代である。

そういえば最近、スペイン語では「昇進する」ということを「遠いところに行く」というのだと何かで読んだ。日本のタテ社会と欧州のヨコ社会の違いだという。

日本ではもちろん、昇進は下から上にいくイメージだ。しかし、不思議といまの日本では、遠いところへいくというほうがしっくりする気がする。

空高く飛んで行きたいというのはロマンに過ぎず、鼻で笑われそうだが、どこか遠くへ行きたいというのは現実的で、多かれ少なかれ、みんな毎日思うこと。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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