おとなのむしばとこどものはいしゃ
2015/07/03
ぐーっとかんで、ぎりぎりぎり。はい、ぐーっとかんで、ぎりぎりぎり。
きょうは、こきざみにとっていた、さいごのなつやすみ。
ぼくは、すこしまえに、ぎんばがぬけたので、はいしゃさんにいきました。
12じによやくをしていました。だから12じに、はいしゃさんにいきました。
けれど、はいしゃさんの、たいまんでしょうか、ずいぶんと、またされました。
はのちりょうがはじまったのは、とけいのはりが、はんぶんよりも、もっとまわった、12じ40ぷんでした。
ぼくは、ちょっとおこっていました。
だけど、まちあいしつにおいてある、「かていがほう」というざっしに、とってもためになるきじがありました。
さいきん、にほんこくせきをしゅとくした、どなるど・きーんさんと、しのだとうこうという、はくじゅにもなる、じょせいびじゅつかのたいだんでした。
にほんはふしぎなくにですね、うふふおほほ、というようなないようです。
ぼくはふむふむとよみました。
それをよめたので、まちじかんは、けっしてむだではなかったとおもいました。
さて、しんりょうだいにねかされたぼくです。
せんせいがたずねます。「どうしてぎんばがぬけたのですか」
ぼくはこたえました。「がむをかんでいたら、ぬけました。」
ああなるほどといって、なにやらせんせいは、めもをします。「いつごろのぎんばかわかりますか」
「いいえ、きおくにございません」ぼくはそうこたえました。
先生が、「こっかいとうべんみたいですね」と、いってくれたらいいのになと、ぼくはおもいました。
「では、くちのなかをみせてもらいましょう。」
おくち、ではなく、くち、といったところに、せんせいがおとこであることが、ひしひしとつたわってきました。いみがよくわからないひとは、ながしてください。
せんせいになされるがまま、ぼくはおくち、ではなく、くちを、おおきくあけました。
ぼくはこういうときに、いつもおもいます。あごがはずれそうでしんぱいだと、ふつうのことをおもいます。
そんなぼくのしんぱいをよそに、せんせいはぼくのくちのなかをみます。
これはむしばですね。むしばになって、それでぎんばがとれたのでしょう。
あ、ひょうでふか。
ぼくはくちをあけたまま、こたえました。
ほら、みてみてください。
せんせいはぼくに、てかがみをわたしてくれました。
てかがみに、ぼくのおかおがうつります。
あらあ、どこのおとこまえやろかと、ぼくはじょうだんをいおうかとおもいましたが、わらいがとれるきがしなかったので、のみこみました。
せんせいは、ちいさなかがみのついたぼうと、ぼくにわたしたてかがみとで、あわせかがみにして、あくりょうたいさん、とやってくれるかとおもいましたが、そんなわけはなく、ぼくにげんじつをちょくしするようにいいました。
ぎんばがとれたところのあなが、いかにもばいきんがいじわるをしたというかんじで、くろずんでいました。
せんせいはいいました。「まずはれんとげんをとりましょう」
ぼくは、れんとげんしつにれんこうされました。
なにか、さいしんのきかい、というかんじのれんとげんで、なにかへんなぼうを、まえばでかまされました。あたまをこていされ、あたまのまわりで、うぃうぃーんと、きかいがいっしゅうしました。すると、はい、いいですよ、おせきにもどってくださいねと、せんせいがいいました。
ほどなく、でぃすぷれいにぼくのずがいこつの、くちのまわりがうつしだされました。
これが、ぼくのほねなんだなあと、ぼくはおもいました。
しんだら、もやされると、このほねがのこるんだなあと、すこしだけ、ぼくのさいごにおもいをはせてみたりしました。
だけどせんせいは、そんなぼくの、せんさいなきもちをぜんぜんしりません。
ただ、むしばのはんいを、さぎょうてきに、れんとげんでちぇっくしただけです。
でも、おとなは、みんなそういうものだから、ぜんぜんきにしません。
そして、ちりょうがはじまりました。
さいしょに、ますいをうちました。
しばらくすると、くちの、みぎほほのあたりが、しびれてきました。
はい、くちをおおきくあけてください。
ぎゅいーん。ぎゅいーん。ぎゅいーん。
はいしゃといえばあのおと、きゅいーん、という、こうおんではなく、ちょっとにぶいていおんが、くちのなか、あたまのなかにひびきます。かいぞうにんげんのきもちが、すこしだけ、わかります。
ぎゅいーん。ぎゅいーん。ごりごりごりごり。かいぞうがつづきます。
きゅ、きゅいーん。
ていおんだけならへっちゃらだな、とおもっていたけれど、やっぱり、れいの、こうおんがはじまりました。
きゅいーん。きゅいーん。
こんどは、くちのなか、あたまのなか、とかいう、かわいいはなしではありません。
ますいはきいているはずなのに、のうずいに、ずいのずいのずいに、なまみそずいに、ひびきます。
しんでしまうと、ぼくはおもいました。もうやめてくれえと、おもいました。おねがいですから、たすけてくださいとも、おもいました。
あやうくしにかけていたとき、やっと、ちりょうがおわったようでした。
さいごに、かりのつめものをするというので、ほおに、わたをつめられました。
むしばのあなに、たぶん、ねんどみたいなやつをつめられました。
それから、かみあわせのちぇっくです。
なにかのかみをかまされました。
ぐーっとかんで、ぎりぎりぎり。はい、ぐーっとかんで、ぎりぎりぎり。
ぼくはいわれたとおり、ぎゅーとかみしめて、それからぎりぎりぎりと、はぎしりをしました。
せんせいは、はみだしているぶぶんか、なにかを、ちょっとけずって、ちょうせいしました。
そしてまた、かみをかまされて、ぐーっとかんで、ぎりぎりぎり。はい、ぐーっとかんで、ぎりぎりぎり。
ぼくはさんじゅっさいです。おとなです。
それを、はたからみればけっこうばかばかしいやりとりを、よんかい、ごかい、ろっかい、ななかい、やりました。いいえ、りぼばらいのかいすうなんかのはなしではありません。
ぐーっとかんで、ぎりぎりぎり。はい、ぐーっとかんで、ぎりぎりぎり。
そしてようやくすべてのちりょうがおわりました。
くちをゆすいでくださいといわれました。
ぐちゅぐちゅぐちゅと、くちをゆすぐと、ぴゅうーっ、と、ぼくはおみずをふきだしてしまいました。
ますいのせいで、みぎがわが、まひ、していたのです。
だから、うまくくちがとじられず、それで、おみずが、ぴゅーっとなってしまったのです。
とってもへんなかんかくでした。
はいしゃさんのあとは、さんぱつにいきました。そこでぼくは、びーとたけしにあいました。いいえ、かがみのなかのはなしです。
というのも、ぼくはちょっとだけ、あいそわらいをしたのですが、きれいにみぎがわだけがうごかないのです。
だから、ひだりのくちはわらっているけれど、みぎはちっともわらっていません。
とってもきみょうだとおもいました。
まひするとは、こういうことなんだなあと、いつかの、びーとたけしの、ばいくじこのことをおもいだしました。
そして、せかいじゅうにいる、からだのふじゆうな、まひとか、いろんな、つらいおもいをしているひとたちのことに、ほんのすこしだけ、おもいをはせました。
ごたいまんぞくというのは、ほんとうに、ありがたいことだなあと、ぼくはおもいました。
でも、さいきんのぼくは、どこかぎぜんてきなきがします。
げんばくはんたい、せんそうはんたい、というのも、どこかぎぜんてきなぼくです。
でも、やらないぜんよりやるぎぜん、ということばもあります。
でも、ぼくは、「やらないぎぜん」なので、ぼくはさいあくだとおもいました。
きょうのしごと:おえかき2げーむ(げんじてん)
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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