ようこそ三十路先生

  2017/08/22

今日は画像たくさんのせます。なんといっても、ぼくは今日は誕生日で、そしてとうとう三十路になったのであります。
昨日まで29歳だったのに、22時に寝て、目覚めたら30歳になっていた。
我が身を鏡に写して眺めてみたものの、特に変わった様子はない。
でも、たとえはぼくが今日死んだら「享年30歳」となり、昨日までは「享年29歳」となっていたのだ。
単に切りのいい数字というだけの話な気もするのだが、なぜだかやたらとその差は大きい。
天と地ほども違う気がする。29歳と30歳は似て非なるもの、という自分の意識。世間の目。平均初婚年齢!
そういうわけで昨日、どこかそわそわふわふわとしていたぼくは、いざ三十路!身を清めん!とばかりに散髪に行った。
散髪の待ち時間が結構あったので、その間に隣にある古本屋で、画像にある通り山積みの本を買った。いつもぼくはこのように買う。どうだ、インテリっぽくて(あくまで古典的・前時代的な)かっこいいだろう。気の向くまま、でもあくまでも新書ばかりをやたらめったら、とにかくはぼくの中にあるこの世界に対する薄い興味をなるべく伸ばして広げて、いろんなジャンルの本を買うようにしている。で、今回はけっこう戦争関係の本を買ったので、これらは読んだら樋口先生に貸そうかな、とか思う。
それから画像にある酒と天ぷらなどがうまいちょっといいお店である「元海」に行き、ひとりいままでの人生を静かに振り返ったわけです。
ビールと、山口県のお酒だという東洋美人を飲んだ。とくに日本酒を飲む気はなかったのだが、父方は山口から出て来ており、自分のルーツ的なものを山口に感じるので、飲んでおいたのである。
飲みながら、なんとなく思った。
生まれたっていうスイッチが入った以上、死ぬまでは止まらないんだよなあと。そう考えると、このせわしなく動き続ける自分をどう動かすか、それ以外に考えることもすることもないよなあ。そうしてよりよく生きる、ただこれだけのことだよなあ。なんて。
そうして、ほろ酔いで家に帰り、シャワーを浴びて、寝た。
で、4時30時に起床。
三十路になっていた。
で、今日の自画像、どこかおかしいとは思いませんか?そう、三十路になったぼくはお肌の曲がり角に対抗するべく、つまりアンチエイジングとばかりにパックをしているのであります。
まあ、年齢には勝てないよなあとつぶやくのは時間の問題だが、パックさるる自画像、であります。で、その下のイーゼルにのったF30号は、日々早起きしてしこしこ制作中の「LIFE feat 吉野屋牛丼並盛×8+みそ汁×4+玉子×4+半熟玉子×2+お新香×4+コールスロー×2+追っかけおくらとろろ×1+追っかけねぎ玉子×1」であります。ぼちぼち行き先が見えてきたというところか。
というわけで、今日からぼくは三十路です。三十歳までに売れてなかったら自殺するとか言ってたのに、しっかり三十歳になってしまいましたし、いま、自殺する気がありません。
そうだ、これも昨日、東洋美人を飲みながら、20歳のころのぼくがいまの自分を見たらなんて思うだろう、とも考えた。
売れてないことにがっかりするだろうか。そしてへらへらと三十歳になってもなおのうのうと生きようとしている自分に失望するだろうか。
何はともあれ、ひとついえるのは、20歳のころのぼくは今の自分を想像できてはいなかった、ということ。
要するに、未来なんてわからない。ある方向を目指すことはできるが、しかし、未来はわからないもの。ほんとうに。
だから、これからまた10年。40歳の自分もまた、想像がつかない。
想像ができないから、生きてみるのだと思う。
何かで読んだ「自殺しようと"思う"ことと、自殺"する"ことは違う」ということ。
思うだけならいくらでもできる。想像ならいくらでもできる。でも実際に、日々を営々と生きてみること、そして実際に歳をとってみること、そうすることでしかわからないことがある。
たぶん、いまの自分と20歳の自分は話が完全にはかみ合わないだろう。でも、かみ合わなくなったその部分が、この10年を生きた価値だろうと思う。
何か、今日から何かしらが違うような気がしてるんだけど、それは単なる気のせいで、誰かの歌ではないが、「毎日がスペシャル」なのであって、そうすべきで、そう思うべきだと思う。
こんにちは、三十路の新宅睦仁という自分。そしてよろしく。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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