おお、みどり萌えるランニング

最終更新: 2017/08/22

ゴールデンウィークです。9連休ではなく暦通りですが、しっかり気分は弛緩しております。

でも三十路越えて弛緩していくお腹回りの恐怖心から、いそいそとランニングに出掛ける。

いつも通り20分あまりで終わる予定だったのだが、すばらしい天気と、すばらしい緑に誘われて、もうちょっと、もうちょっとと、まるで幼児が興味の向くままにとことこと歩き迷子になってしまうように、気付けばいままで行ったこともないほど遠くまで走ってしまっていた。

やはり老けた、と思う。いや、大人になったのか、熟成しているのか、はたまた月並みな人間へと腐っていっているのかは知れないが、とにかくは、心からその日の光と陽気と緑の鮮やかさに、ほとんど感動してしまっていた。

前のぼくなら考えられない。天気なんかどうでもよかったし、緑や自然なんておもしろくもなんともなかった。

見えなかったものが、最近、どんどん見えるようになってきている、気がする。

で、一枚目の画像は、人知れず咲き誇るタンポポ。

素直に美しいなあと、柄にもないことを思い、パシャリ。

足取りは軽く、どんどん走った。途中、おそらくは近くの高校の部活動だろう集団がランニングをしていて、ぼくはそのなかでも最後尾にいた彼を、ひとり後ろからストーキングよろしく勝手にペースメーカーにしてついて走った、のが、二枚目、パシャリ。

それで、なんとなく、彼の気持ちを想像しながら走った。彼の走り方はいかにも身が入ってなくて、(なんのためにこんなことをしなければならないのか)という、若者によくある疑問が一挙手一投足に現れている、ように感じられた。

まあ、そんな疑問も青春である。大人はそんな疑問さえもうらやましく思うのである。大人になってしまったら、たいていは、そんな素敵な疑問は日々の生活その維持に押し殺されてしまうのである。

若者よ、大いに疑問を抱くがよい。

特に疑問もなく単純にお腹の弛緩と戦うぼくは、いつの間にか彼を追い越してしまっていた。

どんなことでもそうだが、単純が一番強い。

すると現れたのは、大いなる太陽神に、はたまた大地の神、たゆたう水の神に向かって礼拝をするかのような体操を繰り広げている禿頭(とくとう、であってたっけ?)の中年男性。三枚目の画像である。

妙に微笑ましくて、ニヤリ、思わず盗撮、パシャリ。

そんなこんなで、いつの間にか一時間あまりも、走ったり、また歩いたりしていた。

あたりに満ち満ちる太陽の光と、作り物のように鮮やかな緑をたたえた木々や草花。きらきらと光る水面は、ただそのようなかたちで目の前に広がっていることが、すばらしかった。

そうして、身体のどこも痛くもかゆくもなく、それらを美しいなあ良いなあと感じられることが、しみじみとありがたかった。

そんなことをある人に話すと、30歳でそんなことを思う人はいない、老人か、なんて言われた。

そうかもしれないが、しかし、ぼくには珍しく、その感覚は演出や、ぶっているのではなく、本心なのである。

歳をとるということは、決して悪くなく、むしろよい、たぶん、いやきっと。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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