生活もまた、割れ窓理論の内にあり

最終更新: 2017/08/22

最近、と言っても、ここ5日ほどの話ではあるが、とにかく部屋をきれいにしている。

ぼくはもともときれい好きであるので、整理整頓、掃除は苦にならないし得意でもある。大学の時などは、ぼくの部屋はいつ行っても片付いていると定評があったほどである。

しかし、あれから10年。ぼくの部屋はだいたいいつもエントロピーの吹き溜まりになっている。つまり、散らかっている。それは何故か。

例えば、ある日、なんとなく、廊下なんかに靴下を脱ぎ捨ててそのままにする。すると、それを発端にジャケットもズボンもパンツも脱ぎ捨てることになる。いきおい、ポストに入っているチラシ、電気料金やガス料金の明細書もそこらに投げ捨てる。とにかくはすべて、ほんとうに適当にその辺に放るようになる。

ほどなくそれらは山となる。山となると、いよいよ腰が重く、どうでもいいやと思い始める。ただ部屋が汚いだけなのに、生活自体がどうでもよくなってくる。ついでに仕事もどうでもよくなってくる。絵もどうでもよくなってくる。もっと、人生そのものがどうでもよくなってくる。

そうして、家に帰りたくなくなる。己がお部屋のエントロピーを考えると、気が滅入るのである。自然、現実逃避か何か、居酒屋に足繁く通うことになる。

ようやくで酔っ払って部屋に帰ったら帰ったで、酩酊のままに服やカバンをわざとらしいほどに放り投げてダメ押しのエントロピーの増大をかましてそのままぶっ倒れる。

朝が来る。混沌とした部屋が広がっている。

この繰り返しである。我ながら終わっている。

さて、本日のタイトルにある「割れ窓理論」をご存じない蒙昧な方々のために、親切な筆者はご丁寧にも下記にWikipediaより転載しておいてあげたからせいぜい勉強しなさい。

割れ窓理論(われまどりろん、英: Broken Windows Theory)とは、軽微な犯罪も徹底的に取り締まることで凶悪犯罪を含めた犯罪を抑止できるとする環境犯罪学上の理論。アメリカの犯罪学者ジョージ・ケリング(英語版)が考案した。「建物の窓が壊れているのを放置すると、誰も注意を払っていないという象徴になり、やがて他の窓もまもなく全て壊される」との考え方からこの名がある。ブロークン・ウィンドウ理論、壊れ窓理論ともいう。(Wikipediaより)

転載終わり。

ゴミ箱ではないところに、空き缶が一本放置してある。それをきっかけに、空き缶の山ができると言えばなおわかりやすいだろう。また、そういう場所に空き缶を積み重ねたことがある方も、決して少なくはないだろう。

例によって長々と書いてしまったが、とにかくは、人間の性根というものは往々にして割れ窓理論に支配されているのだと思う。

最近のぼくの普通の生活になってしまっていた終わりなき部屋の混沌ループ。その真逆のループがここ5日間である。洗濯も掃除も、毎日きっちりやって余念がない。おかげで寄り道もせずに早く家に帰りたいと思う。

よく言う帰りたい家とは、まずはそういう最低限のところから始まるらしい。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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