使い捨ての話

最終更新: 2017/08/22

早朝、ゴミを捨てに外に出ると、廊下にクワガタが落ちていた。クワガタからしたら”落ちている”つもりなど毛頭ないのだろうが、人間様から見れば、それはどうにも落ちていて、しかも単なる物体なのであった。

ぼくは一度素通りして階下に降りてゴミを捨てた。それから戻るときに、クワガタを拾って帰った。その物体にも生命があることに違和感を覚えるくらい、久しぶりにクワガタに、いやもっと、昆虫に触ったなあと思った。

帰って、先ほどホウレン草のおひたしを食べた小鉢の中に入れてみた。角型の白い小鉢と、黒いクワガタは明快なコントラストを生んで、なかなか素敵な絵面であった。

しかし、子供の頃の自分だったなら、クワガタなんて見つけたら頭がおかしくなるくらい狂喜していただろうに、いまではほとんど何の感慨も湧いてこないことに、うら寂しさを禁じ得なかった。

黒いコーヒーを飲みながら、黒いテーブルの上にある、白い小鉢の中の、黒いクワガタを眺めた。やっぱりたいした感慨はわいてこなかった。たとえば、もっと切なくなって胸が詰まって涙ぐむとか、そういう大きな感情の動きを期待したが、胸中は誰も居ないグラウンドのように静かだった。

もういいやと、気を取り直して先ほど読み始めた本を開いた。【20世紀をつくった日用品―ゼム・クリップからプレハブまで / 柏木 博 / 晶文社】。まだ10数ページしか読んではいないが、今年度の私の読書べスト10入りは確実である。

たとえば、使い捨ての紙コップは、アメリカで生まれた。公共の建物や鉄道駅に設置してあった、使い回しのブリキのひしゃくが伝染病を引き起こしていることが判明したことがそのきっかけだという。そして、確かに紙コップによって伝染病は制圧された。しかし、それと同時に「衛生」の観念が生まれた。そう、ボールペンでさえも抗菌をうたう現代の過剰な衛生観念は、ここから始まったのである。

なんて興味深い本なのだろうかと、知識欲が刺激されて嬉しくなる。そうこうするうちに、すでにクワガタへの興味は失せていた。ぼくは窓を開けて、クワガタを捨てた。いつ、何をきっかけにしてかはわからないが、冷めた大人としてのぼくはとうの昔に始まっており、そしていよいよ凍えるほどに冷めた大人になってきているらしかった。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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