さらに誕生日、そして牛丼アート

最終更新: 2017/08/22

クラスの飲み会にて、さらに誕生日をお祝いしていただいた。やはりもう、ぼくは30歳、ということでよい。
というか、クラスには三月生まれの人が5〜6人もいて、三月生まれの人の共通点を思った。
三月生まれの人のほとんどはぼうっとしている気がする。あまりしゃきっとはしていなくて、どうももやもやぼやぼやしている気がする。それはきっと三月という、春でも冬でもない、いわば中途半端な季節のせいではないだろうか、なんて適当なことを思ったり、した。
話は途端に月並みになるが、花粉がたくさん飛び始めているらしい。電車で、道で、お店で、くしゃみをよく聞く、ような気がする。いや、本当は別にそれほど聞いてもいない。これもまた適当な話題。
そして話は昨日のぼくの過ごし方になるが、昨日は多摩川の河川敷で牛丼やコールスローや生卵を落とすところを撮影していた。ホームレスの家(家と呼んでいいものか。というか、ああいう建物を"家"と呼ぶとするならば、ホーム"レス"ではなくなる、という堂々巡り)のすぐ横で、牛丼を食べもせずに落とし、撮影に精を出していることは罰当たりかもしれなかった。しかしまた同時に、その状況はとてもシュールでもあった。その状況自体が、"アートっぽい何か"であるような気もした。
牛丼その他をひたすら落下させて残飯にして、それから回転ずしを食べに行った。この流れもまた、罰当たりかもしれなかった。あたり前だが、回転すし屋では、すしが回っていた。ちょうどお昼時で、家族連れでごった返していた。すしを食べながら、ある家族を見るともなしに見ていると、そこまでムキにならなくてもという勢いで、家族全員がお祭りか何かの競技のような真剣さで回る寿司をやや乱暴につかみ取っては口に詰め込んでいた。「いくら取って!」「まぐろ取って!」「味噌汁も!」「イカも!」「卵も!」「もっともっと!」「わっしょいわっしょい!」というありさまであった。しかしその光景はとても"家族らしく"て、そう、友達や恋人ではなく、まさにそれは家族以外の何物でもないという空気を醸し出していた。
ただ、それはどちらかというと下品な空気だったので、あまり微笑ましいとは思えなかった。けれど、決して悪くはなかった。
というか、今日はすごい曖昧なことばっかりで、言ってることがぼやぼやしてまとまらない。なんか急に、連日の言いたいことや主張が雲散霧消してしまったようで、仕方なく煙のように散らばる思考のかけらをかき集めて、むりやりに並べてるだけ、に違いない。おそまつ。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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