ふっとつぶやくさようなら

  2017/08/22

出会いは別れの始まりとかいう。ソフィアの歌でも「出会いと別れの繰り返し、そんなものが人生というならば、叫んで逃げだしたいよ」と、あった。ちなみに「float」という曲だったと思う、思うってぼかして言ってるけどかなり自信がある。というのもぼくは高校のときビジュアル系に狂っていたので、ソフィアとか黒夢とかラルクとかグレイとか、ほとんどアカペラで歌えてしまうのである。それはきっと恥ずかしい過去なのだが、いやしかし、事実だからしょうがない。どんとこいビジュアル系。いけいけどんどんビジュアル系。過去は消せないのである。とにかくは出会いは別れの始まりという、誰が言ったか知らないがうまく言ったものだと思う。諸行無常ともよくいうが、本当に、うまくいったもの。ああ、そう。すべてが可能だと思っていたけれど、いつの間にか不可能が自分を取り囲んでいる。それはきっと現実ではなく感覚の話で。また例によって自分の話で恐縮なのだが、自分は人にどれだけ理解されているのだろうかと思う。また、どのくらい理解されたいのだろうかと思う。
最近、ぼくの人生の中ではめずらしく人に好かれることが多い。なぜかはよくわからない。また、どこまで好かれているのかも、基本的に勘違い野郎のぼくにはよくわからない。ちなみにぼくがどれだけ勘違い野郎かといったら、それはもう宇宙大会に出場すれば上位入賞は固いというレベルである、ってこういう表現、妙に原田宗典っぽいなあ。まあいいか。
忘れもしない、あれは中学一年のころのことであった。そのころのぼくは吹奏楽部に入っていて、というか入部したてのころで、何かの待ち時間にぼくは廊下に立って外を眺めていた。そのとき、ひとりの女子がおもむろに話しかけてきた。「ねえねえ、新宅くんて、何味のガムが好き?」と。その女子は別の女子とガムは何味が好きかという話をしていて、たまたま近くにいた同じクラブのぼくに話しかけてきたのであった。ぼくはそれに答えた。「基本的にガムは食べん」。
そのやりとりで、ぼくは彼女が自分のことを好いていると思った、いや、思い込んだ、いやもっと、確信した。そう、ぼくは、どんな三段論法を駆使してもどんなに狡猾な詭弁を呈したとしてもそんな論理の飛躍はありえないだろうという論理を一瞬にして完成させてしまったのである。ニュートンもアインシュタインも裸足で逃げ出す勘違い野郎である(やっぱり今日のぼくは原田宗典っぽいなあ)。で、その三日後、ぼくは友達に頼んで彼女を呼び出してもらった。むろん、"彼女の気持ちに応えて"告白するためである。しかし、彼女はその呼び出し場所にさえ来てはくれなかった、というのは、きみとぼくだけの秘密にしておいてくれたまえよ、ええ。
どうでもいいけど、こういう自分の人生を切り売りする話って、よくないよね。自分の人生も経験も有限だから、必ず尽きてしまう、つまりネタ切れて枯渇。やっぱ小説家には向いてないなあ。まあとにかくは、最近よく人に好かれる、という話。たぶん普通、人に好かれると自信が持てるとか、そういうことになるのだが、ぼくの場合はもともとが自信が飽和水溶液?だっけ、とにかくは自分の中に自信がありすぎるので、もうこれ以上は溶けないし増えない状態なのである。なので、ひたすらににやにやするってだけの話。でも、そんなにやにやの先に何があるんだろうかとも思って、それはちょっとむなしい感じで、とどのつまり人間なんて、好かれようが嫌われようが、おんなじ人生で、いつか死ぬだけだよなあ、とかややニヒルにうすらニヤけながら思うぼくは、なんだかんだしっかり調子に乗ってキザっぽくなっているのかもしれない。ああ、勘違い野郎のキザ野郎なんて危険極まりない。ぼくが
タキシード仮面よろしくバラの花を投げるようになる日は近い。もちろんそのときは「タキシード仮面様っ!」の合いの手をよろしく。さらばっ。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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