精神と肉体のこんにちは

最終更新: 2017/08/22

画像は昨日の深夜練習。大根のかつら剥き&打ちもの、からの、にんじんのシャトー。

繰り返すけど料理はあくまで趣味なんだけれども、これはできるようになりたい。とくにシャトーは、その包丁の持ち方の見た目からして"素人ではない"ので、どうしてもできるようになりたい。

というわけで大量の出来損ないシャトーが製造されたので、カレーを作ってみた。のが、三枚目の画像で今日の朝ごはん。

それはともかく、以前にも思ったが、飲酒しながらのシャトーはとても楽しい。なんか妙に、没頭する。

包丁の刃を握る(ちなみに知らない人のために説明しておくと、シャトーは包丁の柄ではなく、刃を直接握って切るのである。なので、あたり前と言えばあたり前だが、シャトーのあとには指の腹に包丁の刃のあとがくっきり。恐ろしい)という、背筋がピシッと凍るか伸びるかする感じ。自分の命と向き合っている感じ、がする。うっかりスッと気を抜けば手がザックリ血だらけになるのは目に見えている。

おそらくそれは、登山家とかスタントマンとか、失命と隣合わせの人たちが言うような"生きてる感じ"の超ミニマル版であるのだろうと思う。

われわれの日常はあまりにも安全である。

そういうわけで、ビールを飲み、ワインを飲みしながらシャトーに没頭した。で、シャトーによる身体の緊張とほろ酔いの中、思った。

将来、いつかは知らないが築かれる予定であるわたくしの家庭、その我が家の人参はきれいなシャトー型を"ふつう"にしよう。

子供ができたなら、そのシャトー型を普通だと思い、そして余所の家なんかに行って人参を食べた時には、"うちと違う"と思わせよう。

なんか、"我が家"ってのは、つまるところ余所の家庭との差異であるような気がする。うちのお父さんはお母さんはこうだから、パン派だとかごはん派だとか、寝るのが早いとか遅いとか、休みの日は出かけるのか出かけないのか、そういう差異こそが、子供に刻まれる"我が家像"を形成するのだと、思った。

まあ、実際のところ親が違えば子も違うし何もかもそれぞれの家庭で違うのだから、何をどうしたって差異は生じるものなんだろうけれど、その"差異の質"というものはあるだろうと思う。

いくら差異って言っても、親がアル中だったり薬物やってたり、はたまた夫婦が不和だったりなんて差異は、子供にとっては単なる迷惑でしかないだろう。

だから、質のよい差異をたくさん用意する。用意したい。

シャトーもそのひとつとして、用意したい。

たぶん子供が小学生にあがるころには、ぼくがシャトーをやっているのを見たとしたら、驚くことだろう。包丁の刃は危ないものとわかっているから、たとえば母親が包丁で指を切って痛がっているのを目撃したりしたこともあるだろうから、なんでそんな危ないことをするのかと、怒って叱られてしまうかもしれない。

そういうときにぼくは、こうやってするんだよと言って、手を添えて包丁の刃を持たせてあげたい。

おっかなびっくり、おびえながら持ったその包丁の刃、その感覚は、いつか、いつかはわからないが、いつか、その子にとって尊い何かに変わる気がする。

父と山に登って、頂上で箸が無くて、その辺の枯れ枝をナイフで削って箸にして食べたこと、でこぼことした自然すぎる箸を持ったときの皮膚感覚、口に含んだときの割り箸とは違う香りや舌触り、そんな遠いいつかの記憶を、ぼくが今でもしっかりと覚えていて、いとおしく思い返すように。

なんてひとりごちたところで話は変わるが、なんといっても現代は皮膚感覚、肉体的感覚にとぼしい時代である。頭、つまり精神ばかりが過剰になり、肉体は置いてけぼりだと言っても決して過言ではない。それというのも、例のオウム真理教の事件で、なぜに揃いも揃って秀才たちがいとも簡単に麻原を信じたのかと言えば、そのひとつに空中浮遊など、麻原の超人的な身体能力に単純に驚き魅せられてしまったところがあると言われている。

秀才ということは、それはもう頭を酷使してきた、超精神的な人種であるのだろう。だから、肉体が完全にお留守になっていたそこのところへ、超身体的な現象をがつーんと見せつけられて、これはもうすごいと、信用してしまったのだと。

人間は往々にして、自分とは相反するものへの欲求を抱えながら生きているものである。精神は肉体を、肉体は精神を求めるのである。かの三島由紀夫はボディビルに相当に熱を上げていたいうが、それは精神と肉体の一致を求めてのことではなかったか。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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