夏の残骸

  2017/08/22

ある日突然、夏が死んだ。そんな空気だった、きのう。

とか言って、また暑くなったりするんだろうなと思ったら、きょうもまたそんな空気である。

死んじゃったんだね、夏。

ぼくの大嫌いな夏が終わってくれてよかったとせいせいする反面、夏は暑い・だるい・うっとうしいと、とにかくは無駄に存在感だけはあるので、いなくなったらいなくなったで、あいつ、どこ行っちゃったんだろうな的な、ちょっぴりセンチメンタルな気持ちにもなったりする。

しかしセンチメンタルになったからと言って、何がどう変わるものでもない。諸行無常である。

いつだったか、ぼくは泳ぐのが好きなので、夏が好きだった(あくまでも、かつての話である)。夏と言えば虫取りに水泳にと、とにかくはしゃぎ回っていた。

そんな折に、ふっと「あれ? 人生70年だとしたら、あと60回くらいしか夏って味わえないんじゃん?」と気づき、愕然としたことがある。

そんなわけない、なんか計算がおかしいんだと漠然と思ったが、それはどう考えたって真実だった。この先何度も、それこそ無限に繰り返し過ごせそうな気がした夏というものが、どうしようもなく有限であることは、ちょっと、にわかには受け入れることができなかった。

じゃあ、その大好きな夏を、あと何回過ごせたら満足できるのかとも考えた。たぶん、200回か、300回。それくらい過ごせたら満足できるんじゃないか、そんな気がした。

しかしそれは、その子供のままでの200回とか300回であって、子供だった自分の頭の中に、20歳や30歳の自分、中年としての自分、そして老人となった自分の姿はどこにも無く、ただただ無邪気な現在が、納豆の糸のように細く長く途切れずに伸び続けるようなイメージしかなかった。悲しいほどに、想像力は乏しかった。

昔、世にも奇妙な話だったと思うが、人の寿命がろうそくで表現されている映像を見たことがある。一本一本のろうそくの長さが、その人の寿命になっていて、燃え尽きたとき、その人の一生が終わる。

すごくわかりやすい反面、恐ろしいような気がした。だって、ろうそくは、"必ず"いつか燃え尽きる。

その映像では、真っ暗な空間の中に何千本ものろうそくが立っていた。基本的には、長いろうそくは生まれたばかりで、短いろうそくは老人のものだった。しかし中には、不慮の事故その他で死ぬ者もあるので、若いけれども短いというのもあった。

自分のろうそくが見てみたいと思った。でも、仮に寿命どころではなく短かった場合も想像されて、怖くもあった。けれどやっぱり、見れるものなら見たいと思った。

しかし実際、仮に尋常ではなく短かった場合、ぼくはそれこそ、尋常ではなく取り乱すであろう。神にすがり、わらにすがり、ありとあらゆるものにすがるだろう。祈り方も願い方もちゃんと知らないが、もうとにかくは、その死が避けられることを血眼になって誰彼かまわず懇願するだろう。

しかしまた、一つの単純な問いが浮かぶ。では、そのろうそくの長さがどれほどだったらぼくは胸をなでおろせるのか。

10年か、20年か、30年か。いやもっとか。

つまるところ、どんな長さだったとしても、きっと複雑な気持ちになって、心は乱される。

そう考えたら、今この瞬間を満足し続けるしかない、というか、生きるすべはそれしかない。

一寸先は闇だとはよく言ったものである。しかし、その厳然たる闇の前に立たされているからこそ、われわれは光として存在する。人間は、常に未来の最先端に立たされているのだ。

確かに一寸先は闇だが、一瞬間のあとには一寸先は光となる。そしてまた一寸先の闇の中へと歩を進める。

その瞬間の繰り返しである。闇、光、闇、光、闇、光の繰り返しが、驚くべきスピードで連続して、秒となり分となり時間となり日となり月となり年となって人生が過ぎてゆく。

ハァ。なんてことは、ぼくが考えるまでもなく何世紀も前に方丈記に書いてある。

「行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず

よどみに浮かぶ泡沫は、且つ消え、且つ結びて、久しくとどまりたるためしなし、

世の中にある人と住家と、またかくの如し。」

自分の力ではどうしようもならないことを恐れたり嘆いたりするのは愚か者の典型だが、そうは言っても愚か者である。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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