ふつうの奇跡

最終更新: 2015/07/03

土曜日のことである。

昼下がりから英会話の授業を2コマ受けてその帰り道、お好み焼き屋に寄った。

16時ごろという中途半端な時間もあって、店内に客は皆無であった。

店員が調理する鉄板の真正面であるカウンターに腰かけ、肉玉そば(つまりふつうの広島風お好み焼き)を注文した。

お好み焼きは出てくるのが遅い。ラーメン屋ならすぐ出てくるところが、10分くらいは軽くかかる。なので、ぼくは英語の宿題をしながら待った。

目の前の鉄板では、ぼくのお好み焼きがじゅーじゅー言っている。それが出来上がるまでの間に、お客が二組くらい入ってきた。それで、ぼくのお好み焼きの横で新たに3つ、焼き始めた。

もちろんぼくのお好み焼きが一番にできて、食べるのは鉄板かお皿かどちらがいいですかと聞かれたので鉄板にした。お待ちどおということで差し出された。

食べながら、ほかの三つのお好み焼きが焼かれるのを、見るともなく見ていた。

広島風お好み焼きでは、最後に卵を入れる。まず鉄板に卵を落として、その上にお好み焼きをどさっとかぶせるのである。

その仕上げの時である。店員のおっさんが卵を割ると、黄身が二つあった。

ぼくは思わず(アッ)と思った。その(アッ)は、もちろん珍しいの(アッ)である。

しかしおっさんは眉一つ動かさなかった。さも当たり前という感じである。たとえば隣の別の店員に「おい、黄身が二つだよ珍しいな」くらいの会話があってもよさそうなものなのに、である。なんて冷静な奴、いや、感動のない面白みのない奴なんだろうかと思った。

おっさんは、続けてもう一つ卵を割った。またしても黄身が二つであった。

ぼくは(エッ)と思った。その(エッ)は、「なんてこった、めちゃくちゃ珍しい」という(エッ)であった。

しかし、おっさんはやはり眉一つ動かさなかった。さも当たり前という感じである。もしもその時、「ヘヘッ、おれは生まれつきのラッキーボーイでね」と言われたら、ぼくは「世の中にはほんとうに運のいい人がいるもんだ」と、素直に感心したであろう。

そしておっさんは、さらにもう一つ卵を割った。なんと、この後に及んでまたしても黄身が二つであった。

ぼくは驚きのあまり言葉を失った。一方、おっさんはむしろ言葉を得て、「お待ちどお!」と、平然と客に出していた。

しかしなんのことはない。後に調べたところによると、黄身が二つの卵が商品として売られているそうで、奇跡だと思った自分が馬鹿みたいである。

浅薄なそれらしいことを言えば、誰かにとってのふつうが、誰かにとっての奇跡でしかないのだろう。すべてがふつうで、すべてが奇跡。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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