二日酔いは病気である。

  2015/07/03

先週の土曜日は、月に一度の、恒例読書会であった。@歌舞伎町ルノアール。

終了後、これまた例によって、場末中の場末の居酒屋「アルプス」にて新年会が開かれた。と言っても、単にいつもの飲み会に新年会という名前が付いているだけであって、たとえばいつもよりも料理が豪華だとかなんとかいうことは一切なかった。

相も変わらず、揚げ油の酷使で酸化が心配な感じのフライの山に、適当な焼き鳥、ホルモン焼き、たこわさ、枝豆など。

これらは決して味わうべき料理ではなく、間に合わせの料理である。言ってみれば嗜好品のタバコに近い。いわゆるシケモクでもなんでも、ニコチンが摂取できればそれでよいというような感じである。

それがアルプス流なのである。って、それほどのヘビーユーザーでも愛着があるわけでもないが。とりあえず、こういう店が嫌いだというような女子は嫌いである。KUSOKURAE、である。

まあ、なんでもいいしどうでもいい。とにかくは飲めればそれでいいのだ。

その後は、数名で歌舞伎町のゴールデン街へ。そこへ至る道は、以前の職場への通勤経路である。それで、通り抜けるとき、やたらと懐かしいを連発してしまった。だって、素直に懐かしかった。雨の日には滑ってこけそうになったこともあったっけ、なんて。

読書会メンバーの知り合いが働いているという「Barダーリン」へ、言われるがままに向かった。

しかし満員だったので、目当てのお店の二階にある別のお店で、しばし時間をつぶす。

お通しに、ちくわとピーマンのおひたしのようなものが出てきた。このどうでもいい料理を、なぜだか妙に鮮明に覚えている。

それは、浅ましき貧乏根性に違いなかった。こんな”シケた”料理でも、まともな金をとるんだろうなあ、なんて。

あるいはこういう料理は、この界隈では「家庭的」だとかなんとか評されて、もっとも喜ばれる類のものなのかもしれなかった。

焼酎のお湯割りを飲んで、ワインを飲んだ。そうこうしているうちに、階下のお店が空いたらしく、場所を移すことにした。

こちらでも、ワインを飲んだ。焼酎も飲んだかもしれない。そこから1時間、2時間、どのくらい時間が経ったかしらないが、記憶がおぼろげになっていった。終電は、とうになかった。

大学生の時のような、みずみずしい気持ち、幸福な時間だったいうことだけを、漠然と、しかしありありと覚えている。

その次に記憶があるのはラーメン屋のカウンターである。眠りこけていたらしい。いつの間にか一人で、誰もいなかった。

あわてて店を出た。自分がどこに居るのかすら、定かではなかった。

駅と思われる方向に向かって、歩いた。当てずっぽうに、めちゃくちゃに歩いた。

途中、松屋に寄って牛丼を食べた。おそらくさきほどラーメンを食べたはずなのだが、困ったときはとりあえず牛丼を食べる癖があるのだと思う。

まだ十分に酔っぱらっていて、すぐにでも眠りたかったが、家に帰って熱いシャワーを浴びてゆっくり寝よう、そう自身を鼓舞して、しゃんとしようと努めた。

次に気づいたのは、終点である京王八王子駅であった。

ハッとして車外に飛び出した。ここはどこだ。しかも、上りと下りのホームのどちらを見ても新宿ゆきの電車しかない。まさか、パラレルワールドに迷い込んだのかと思った。いや、ふつうに終点だからそりゃそうだろうという話なのだが。

その程度には酔っぱらっていた。

分倍河原まで戻って、南武線に乗り換え谷保駅に辿り着いた。セブンイレブンでプライベートブランドのスポーツドリンク2L(¥178)を買って、家に帰った。

予定通り、シャワーを浴びて、寝た。正午ごろにいったん起きたが、また寝た。それを繰り返して夕方になった。

と、わたしの特異体質である、夕方からの二日酔いの悪化が始まった。

それは、ここ最近ではもっとも強烈なものだった。

頭がぞうきんをしぼるように、ねじれるように痛んだ。胸いっぱいに犬畜生の大小便を詰め込まれたかのような吐き気に、断続的に襲われた。

この悶える肉体を、誰かの肉体と交換したいと、切に願った。自分の身体が腐っていることを、ひしひしと感じた。アルコールが分解されて、アセトアルデヒドという毒素になって、身体のそこここをむしばんでいる。

こらえきれず、トイレに駆けこみ、便座を上げて嘔吐した。半日は何も食べていないので、固形物はなく、スポーツドリンクのような色をした半透明な液体が、陶製の便器の表面でくだけて、はねた。

両の耳の横のこめかみあたりが、じん、じん、じんと、しびれるように痛んだ。

昨夜の幸福の代償なのだと思った。この世のあらゆる幸福は、代償を払ってこそ、初めて手に入るものなのだ。

それから、それから、二日酔いは、病気なのだとも思った。もう、金輪際お酒はやめようとも思った。しかしきっと、また性懲りもなく飲みに行くのだろうということも、考えるまでもなくわかり切っていることだった。

追伸:今回の悪行により、わたしはメガネと東急ハンズでカットしてもらった木材を紛失してしまいました。何かご存じの方はご一報いただけますと幸いです。しかし、財布と携帯を無くさなかったのは、不幸中の幸いである。そこは素直に八百万の神々に感謝したい。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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