親愛と暴力

  2017/08/22

昨夜は、メガネを取りに行った。

先年の末に、小出さんという方のお宅で飲み会をした折に、置き忘れていたのである。

仕事を終え、20時前に渋谷を出た。副都心線に乗り、池袋の次の駅、要町で降りた。

駅から徒歩30秒もかからない、激駅近物件である。小奇麗な10階立てくらいのマンション。都会の、通勤至便な立地。それで、興味本位で家賃はいかほどかと何度も聞いているのだが、しかし、小出さんは教えてくれない。

曰く、生々しいからと。

まあ、わからなくもない。多かれ少なかれ、お金の話は生々しいものである。飲み会の割り勘でさえも、時に生々しく、いやもっと、生臭く、気を遣ってしまうものである。

さて、小出さんと落ち合って、ちょっと一杯ということで近くの中華料理屋へ向かった。ぼくは前日、二日酔いでくたばっていたにも関わらず、性懲りもなくまた飲むのである。

安くてうまい餃子他、気の利いた感じの中華を何品かつまみつつ、軽口をたたきながら、二人で大ビールを二本ばかり空けた。

彼は不思議な人だと思う。たぶん、会うのは今回でやっと三度目というところである。学校や会社、そういう必然的な繋がりがあるわけでもないのに、彼はぼくに、とてもよくしてくれる。

強いて繋がりらしきものと言えば、直接会う以前から、彼はぼくのブログを面白がって読んでくれていたらしいということぐらいである。しかしそれとて、繋がりと呼べるかどうか、いささか怪しいものである。

それなのに、とてもよくしてくれる。むろん、何かしら、具体的な金銭および物品、または人脈的な便宜を図ってくれるというわけではまったくないが、彼はとてもよくしてくれる。少なくとも、ぼくはそのように感じる。

相手の本意はどうあれ、こちらが”そのように感じること”が重要なのだと思う。

ひとしきり中華料理屋で飲食し、小出さんの家に場所を移して、飲みなおした。EU産という、あまりにもアバウトな440円の赤ワインを、チーズをかじりつつ、二人で一本空けた。

23時を回り、ぼくの終電が間近に迫っていた。呑みだすと破滅を目指してしまう質なので、痛いくらいに後ろ髪を引かれつつも、礼節を装っておいとまさせていただいた。

一時間ほどかかって、最寄りの谷保駅に到着した。ほろ酔いで、悪くない気分だった。

「ほんとう、ほんとう、溝田さんには、申し訳ないと思ってます!すいませんでした!すいませんでした!」

駅前のロータリーで、20才前後とおぼしき若い男が涙声で叫んでいた。同年代らしい二人のヤンキー風の男が、彼を取り囲んでいた。近くには、涙声のものと思われるダウンジャケットとマフラーが、いかにもはぎとられたといった風で散乱していた。

「おまえ自分のしたことがわかってんのか?ええ?ほんとに反省してんのかてめえは!」

ヤンキーのかたわれが、そう恫喝した。涙声はロンT1枚で、恫喝に対して縮み上がるかのように、いっそう涙声を振り絞って「すいません」を繰り返していた。

ぼくはそのかたわらを、無関心に通り過ぎた。この寒空でロンT1枚とは、さぞ寒かろうなんて、のんきなことを思いながら。でも、涙声はいま、なんにしろ興奮のさなかにあるだろうから、寒さはきっと感じてはいないだろう、とも思った。

100mほどをやり過ごしても、まだ背後で罵声が届いてきていた。

ぼくは携帯を取り出して、110番をした。

「南武線の谷保駅前なんですが、ケンカと言いますか、もめているようなので、来ていただけますか」

「どのような状況ですか? 先ほども通報があり、既に向かっていると思うのですが、まだ来ていませんか」

「はい、まだ来ていないようです。男性2人が、1人の男性を責めているというような感じです。殴ったりはしていないようなんですが」

「わかりました。いま向かっていますので、もうすぐ到着するかと思います。通報ありがとうございます」

「いえ、一応、匿名ということでよろしくお願いいたします」

電話を切った直後に、ちょうどパトカーのサイレンが大きく響き、そして止まった。

モームが言うところの、人間にある矛盾、それから、不可解性を思った。

その手は、誰かを撫でることもできるし、殴ることもできるし、笑うし、泣くし、怒るし、慈しむし、親切でもあり、暴虐でもあり、卑怯でもあり、誠実でもある。そういった対立項のすべてが、何の不可能性もなく収まって、一人の人間として成立してしまっている、この、人間という理解しがたい存在を。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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