ぼくの英語力

  2015/07/03

最近、ようやく通勤時間が定まってきた。8時49分の南武線川崎行きの電車に乗るのである。

さて、昨日の朝のこと。最寄り駅である谷保駅に着いたのは8時45分くらいであった。

4分ほどの時間があった。そういうとき、ぼくはとりあえずSuicaのチャージでもしとくかなと、よく思う。

券売機に向かった。Suicaを入れ、それから千円札を入れる。その時、不意に隣にいた女性が話しかけてきた。

「um... um.. excuse..」

一応英語として書いてみたが、実際何を言っているのかはよくわからなかった。中国かフィリピンか、とにかくはアジア系の、20代後半とおぼしき女性であった。

「un... unmm... mmmm..」

彼女はもどかしげに口をもごつかせた。その目はちょっとした精神薄弱者のような泳ぎ方をしていた。加えて、おしっこが漏れそうな感じで身体を小刻みに震わせ、地団太を踏んでいた。正直、金を貸してくれとかそういう類の頭のおかしい人でないかと身構えた。

「umm... mmm... ummmmm...... ummmmm.......」

なんにしろ、ぼくは今こそ英会話の成果を発揮すべきときだとばかりに、彼女の一言一句に集中した。が、しかし、さっぱり、見事なほどにさっぱり、何を言っているのか皆目見当がつかなかった。

「un... un... un...○▼※△☆▲※◎★●....」

ぼくはただただ、とにかく猛烈に困っていることだけを理解した。それならばと、自ら何かしら話しかけようとするも、ぼくの口からは「あ~、あ? ああ……」以上のものは出てこないのであった。

「un... un....oh,  wait!!」

突然彼女は駆け出した。意思疎通をあきらめたのかと思いつつ、しかしカバンは券売機の前に置いたままだったので、とうとう発狂したかと後を追った。すると自動改札の向こう側に、彼女と同じ人種らしき女性がおり、何かしらを尋ねているふうであった。

ひとしきりしゃべると、ぼくのところへ戻ってきて、彼女は言った。

「tachikawa! tachikawa!」

「um,ok , tachikawa ね tachikawa ね」

ぼくは英語というよりは中国語のそれのように答えて、路線図から立川を探した。谷保から立川までは二駅で、150円であった。

「one hundred fifty yen! 」

このやり取りで、初めてのまともな英単語であった。ぼくはちょっと勢いづいて、というか調子に乗って、もう一度言った。

「one hundred fifty yen! 」

ぼくの発音がよかったから、というわけではないだろうが、彼女は理解したようだった。彼女は券売機に千円札を差し入れた。ぼくは表示された画面の、150円のボタンを押してあげた。

お釣りを受け取って、と英語で言ってあげたかったが、ぼくにそんな高度な英語が繰り出せようはずもなかった。むろん、ぼくが黙っていても、彼女はしっかり切符とお釣りを受け取ったのであった。

そうして彼女は、心底救われたような顔をして、ぼくにThank you と言った。どういたしましてと英語で言いたかったが、これもまた出てこなかった。愛想笑いとも苦笑いともつかない笑いを浮かべつつ、ぼくは背を向け、改札に向かった。

8時49分になろうとしていた。電車の近づく音が響いてきていた。ぼくはホームへと急ぎながら、どういたしましてはYou're welcomeなのになあ、なんでとっさに出てこないかなあと、自分の無能を嘆くばかりなのであった。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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