くさっても愛
2015/07/03
めずらしく休日のブログ更新。
いま、晴天のうららかな昼下がり、トイレにこもって「うちの子が、なぜ!」という、綾瀬の女子高生コンクリート詰め殺人事件をあつかった本を読んでいる。
Amazonでの評価が妙に低かったが、しかし、自分にとってはかなりおもしろい。というか、興味深い。
内容はゴシップ的ではなく、どちらかというと教育論、文化論的な感じで、なぜそのような事件が起こったのか、その背景はなにか、ということについて、なかなかていねいに書いてある。
と言ってもまだ三分の一くらいしか読んでいないが、妙に響いた節があったので、ご紹介したい。
子が親を殴るのは、地獄の風景である。皮肉というか、悲劇というべきか、その入口にあったのは憎悪ではない。
家庭を始める際に必要とされるものがなにがしかの愛である以上、そこにもともとゴロリところがっていたのは、まぎれもなく「愛」だった。
この情念に関してさまざまな分類が行われているが、いかなるたぐいのものであれ、愛はそもそも愛なのであって、それ以外のなにものでもない。
引用終わり。
「家庭を始める際に必要とされるものがなにがしかの愛」というのは、当然といえば当然だが、あらためて考えると深いものがある。
恋ではなく愛。激しい情熱は遠くない未来、必ず失われ、おだやかな愛に移行する、という一般論。
それはまあそうなのだろうが、しかし、それが愛かどうかは疑わしい。
愛について考えると、必ず思い出すのが遠藤周作の言葉である。愛とは捨てないことであると、彼は言っていた。
それは実にキリスト教らしい発想なのだが、それでも、無宗教のぼくにも実に納得のいくものではある。
老いても、病んでも、貧しくても、決して捨てない。寄り添いつづけること。
言葉にするのは簡単だが、しかし、この世にどれだけ愛のある人がいるだろう。
思うに、愛は女性だけが持っていて、また、母親が子に抱く愛だけが、唯一、本当の愛なんだろうという気がしている。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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