クリスマスらしさとは何か。
2015/07/03
新書風なタイトルを付けてはみたものの、特に書きたいことはない。にも関わらず、こうしてブログを書き始めてみた。
昨日はクリスマス、おとといはクリスマスイヴ、その前は天皇誕生日、というのはクリスマスとは関係がない。しかし祝日という点では、あるいはクリスマスよりもよほど素晴らしい日だと思われる。
なんていう気持ちは、大人になってしまった残念さ故であろう。
子供の時分には、クリスマスと言えばそれはもう心おどる大イベントであった。さらに畳みかけるようにお正月もやってくる。すなわちお年玉、結局人間、金なのである。
この時期、子供は気が狂わんばかりの気持ちでめくるめく日々を過ごすことになる。どうでもいいことを付け加えると、カツアゲをするならこの時期のクソガキに限る。
一方、大人にとってのこの時期はどうだろう。右も左も、口を開けば「年末は忙しい」の一点張りである。
正直、毎年不思議でしかたがない。年末って、そんなに忙しいものなのか? なんかいつもより業務量でも増えるのか? そりゃあもちろん飲食関係ならばわからなくもないが、普通の事務的一般企業で、年末が多忙の理由はなんなのか?
一般企業がいったい何をしているのかよくは知らないが、そんなに普段と違うわけがないだろうと思ってしまう。
それはおまえが真面目に働いていないからだと言われれば、それはそうなのだが、しかし、忙しい忙しいと言う自分に酔っているだけじゃないのだろうか。いや、よくは知らないけれども。
仮に江戸時代ならば、年末が忙しいのはわかる。なぜなら、江戸時代の庶民にとって、年末は一年のツケを、すなわち各種の支払をすべて済ませなければならない大変な時期であったからだ。
と、これは何かの本で読んだのだが、ちょっと詳細があいまいなので調べてみた。ら、よさそうな記事があったので、以下転載。
「年の瀬」の「瀬」は本来、水の流れが激しい場所という意味です。≪goo国語辞書より≫当然のごとく容易に渡れるはずもなく命にかかわる場所といえるでしょう。また同じ文字を用いた「瀬戸際」には「ギリギリの局面」とか「重要な分岐点」というニュアンスが含まれています。つまり「瀬」には命にかかわる重大局面を指す場合があると考えられます。
ツケ払いが主流だった江戸時代、清算が行われる年末はフトコロ具合が心配な庶民にとって「無事に年を越せるか」が決まる時期、まさに命にかかわる重要な分岐点だったから「瀬」を用いた...という説です。これはあくまで一つの仮説に過ぎませんが、いかがでしょうか。水の流れの激しさとツケの清算の厳しさに引っ掛けたのだとしたら、江戸時代の庶民のたくましさを感じますね。
(NHKオンデマンド ブログ http://blog.nhk-ondemand.jp/2012/12/post-803.html)
いつの時代も庶民は金策に苦労するのである。わたしも現在、江戸時代ではないにも関わらず、金策に窮していることこの上ない。
寒空の下、電車を待ちながら、真剣に、誰かしら絵を一枚でいいから買ってくれないだろうかと願ってしまわずにはいられない今日この頃である。20号サイズで3万円くらいでいいのでお願いします。いや、ほんと、真面目な話。
無事に年が越せなかったら、また来世でお会いすることといたしましょう。さよなら、さよなら、さよなら。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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