にんげんの名付けた、適当な呼称としての一年

  2015/07/03

年が明けた。今現在は西暦2014年、ということになっている。

twitterやfacebook上では、あけましておめでとうだとか、よい一年をだとか、そういう定型文があふれ返っている。いわゆる三が日が過ぎるまでは、こんな調子が続くのだろう。

それらを辟易しながら、しかししっかりと目を通している、暇人に違いないわたしがいる。

人というのは、区切りが大好きである。一週間や一ヶ月や半年、人はやたらと区切りを尊び、そのたびになんやかやと散財して、飲んだり騒いだりする。そういう区切りの頂点にあるのが一年である。

今年も残すところあと何時間だとかなんとかを、ひたすらに連呼して空騒ぐ年末。その内容は無い。まさに無意味。

なんならてめえの人生があと何時間かを話題にしてくれたほうがよほど有意義な気がする。とにかくはばかばかしいことこの上ない。

そんなことをいちいちこうして文章にするほうがよほど馬鹿だと言えばその通りな気もするが、いやいや、やはり私はそこらの愚民とは格が違うからなと、そういう不遜な意識でもって生きている。もしもそういう気持ちが無かったら、今すぐにでも首を吊ってこの世とおさらばしたい。私は特別だ。そう、私は誰がなんと言おうがすばらしい。のだ。そう思わなければ、思えなければ、生きる価値が無い。

さっそく湿っぽくなってしまった。そんなことはどうでもいい。とにかくは、先年、2013年を振り返りたいがために本日のブログを書き始めたのだ。以下、そのように書き連ねたい。

ご存知の方も多かろうが、ぼくにとって2013年は激動の一年であった。

高校を卒業してから18歳で広島の実家を出て、福岡の九州産業大学に入学した。それから留年もしたので5年ほどを福岡で過ごし、それを卒業してから上京して8年。もはや広島の五千倍は慣れ親しんだ東京を離れ、地元の広島に戻った。そしてまた、東京に戻ってきて今に至る。我ながら謎の逃避行(と言いつつ、一部のぼくの人生の真相を知っている人にとっては全然謎ではない)。

さて、図式的に一年を振り返ってみる。

▼2013年1月 〈東京在住〉
いろいろあって(いろいろとしか言いようがない)、地元である広島に帰ろうと一年ほど前から決意していた。そして地元に戻るのを来月に控え、ひどく分裂症気味であった。楽しいような、さびしいような、せいせいするような、悔しいような気分の日々。

▼2013年2月 〈東京在住〉→〈広島在住〉
2月14日のバレンタインデーのその日、夜間で一年半ほど通った調理師専門学校が春休みに入ったので、そのタイミングで実家に引っ越す。東京よさらば。というか、さっさと滅びろ東京という気持ちでひとり新幹線で涙する。

▼2013年3月 〈広島在住〉
広島で就職する。なぜだか運よく東京の時よりも高待遇で採用され、広島も捨てたもんじゃないなと、ちょっぴり思う。3月半ばに調理師専門学校の卒業式のために、再度上京する。樋口その他と飲むが、やはりとりあえず東京はもう沢山だと思う(思い込む)。

▼2013年4月 〈広島在住〉
どうでもいい日々。

▼2013年5月 〈広島在住〉
どうでもいい日々。

▼2013年6月 〈広島在住〉
梅雨。いっそうどうでもいい日々。

▼2013年7月 〈広島在住〉
暑い。どうでもいい日々。

▼2013年8月 〈広島在住〉
暑すぎる。どうでもいい日々。の中、原爆について思いをはせる。現代美術の作家を志す人間として、原爆が落とされた広島に生まれたのはつくづくおいしいよなあと、右翼か左翼かに寝首をかかれそうなことをしみじみと思う。

▼2013年9月 〈広島在住〉
厳しい残暑。どうでもいい日々。の中、親友の樋口氏がはるばる東京から慰問に訪れる。三軒ほどはしごをして飲み明かした結果、東京に戻ることを決める。翌日、即座に退職の連絡をする。

▼2013年10月 〈広島在住〉
心ここにあらずの日々。早く東京に戻りたいと思う。しかしとにかくは末日までは一応まじめに広島の会社に勤める。月の半ばに就活のために上京し、八社ほど面接を受け、二社から内定をもらう。その間、樋口氏に国立市周辺で物件を見繕ってもらい契約する。

▼2013年11月 〈広島在住〉→〈東京在住〉
夜行バスにて上京。国立市民となる。渋谷に勤務し始める。八年ほどすでに住んでいるわけなので、いまさら新鮮なわけはないが、疑問を感じない日々。これでいいのだと思える日々。ぼくは東京が好きでした。しばらくは、連日いろんな人に誘われ飲み歩く。広島には友達は居ないが、東京には居るんだよなと、しみじみ思う。

▼2013年12月 〈東京在住〉
ふつうの日々。可もなく不可もなく、とにかくは生きている。

というような感じで年末を迎える。聖蹟桜ヶ丘にある、読書会メンバーの東間くんの実家で、ねぎま鍋を囲みつつ年をまたぐ。実に楽しかった。

なんかもうちょっと書くことがあったような気もするんだけど、とにかくは今、ここにいる選択をした自分を、一切後悔していない。むしろ、さすがおれだなあと思う。

この行動力がいったい誰ゆずりなのかはわからないが、とりあえずは動けばそれにともなって、勝手に何か変わって、自然に何かしら回り始める。

それが人生というものなのではないでしょうか。

結論、ぼくは自分のことが死ぬほど好きです。いわゆるナルシストです。自分のすべてを肯定しています。もちろん、去年、一年間のぼくの行動によって、傷ついた人も振り回された人も泣いた人も失望した人もたくさんいる。それはわかっている。そんなことはわかっている。

しかしそれでも、何一つ後悔していない。ああ、やっぱり自分という人間はすばらしいと心底思うし、自分という存在でいられることに無上の喜びを感じる。

それは、これから新たに出会う人に対しても言いたい。ぼくはそもそも一般的な優しい人間ではない。むしろクソ野朗の部類である。ぼくはぼくであって、それ以外の何者でもない。ぼくはそういう人間だから、好きになる人は勝手に好きになればいいし、嫌いになる人は勝手に嫌えばいい。楽しいと思うなら一緒にいればいいし、不愉快なら黙って去ればいい。

それだけのことだ。ぼくはぼくだ。いままでもこれからも、ぼくはぼくだ。

いろいろあったけど、去年も、今年も、相いも変わらず自分が最高だと信じることができる。ただそれだけ。そんな、揺るぎない自信でもって、今年ものうのうと生きていく所存であります。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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