過去はいつも猛烈に美しい

  2017/08/22

福知山線の脱線事故から9年という記事を目にした、昨夜のまどろみのベッドの中。

この事故のことを、ぼくは不思議なほどはっきりと覚えている。

まだ上京して間もない頃だった。ぼくは、渋谷にある都立児童館でバイトをしていた。お昼休み、休憩室にあるテレビで、この事故のニュースを目にした。

その頃から適当な弁当を持参していたので、もやし炒めと白飯とか、そういうつまらない弁当を食べながら、刻々と増えていく死者数を眺めていた。

おのぼりさん故のハイテンションか、衝撃的だったのか、若くて記憶力が良かったのか、なんなのか、とにかくははっきりと覚えている。

9年前のこと。2005年4月25日。そうか、ぼくが上京してから――昨年9ヶ月ほど都落ちしたものの――もう9年の歳月が流れたんだなあと思って、しみじみとかみ締める。何曜日だったろうとカレンダーを手繰ってみると、月曜日とあった。

月曜日、か。そう思うと、さあっと、あの頃がよみがえってくる。小田急線の成城学園前駅から下北沢まで行き、井の頭線に乗り換えて渋谷まで。記憶の中で妙にまぶしい渋谷駅周辺の春先の陽光がよみがえってくる。

あの頃は坊主頭で、ほとんど常にヘッドホンをつけてやたらバカでかい音で音楽を聴いていた。それで、電車内で音漏れがうるさいと注意されることもままあった。朝、児童館に向かう途中にある小さな公園で、変わり者を気取ってわざとらしく真上の空を見上げて、オレンジジュースを飲みながらタバコを吸うのが常だった。

そんなディティールをなぞって、数え上げればきりがないし、特に意味もない。ただ、そのころを思い出すと、漠然と”楽しかった”という”感じ”が込み上げてくる。

何がどうというわけではないが、例の、枯れた中年がつぶやく「あの頃はよかった」というやつである。あまりにも惨めで憐れっぽい、忌まわしいあの感慨が、このぼくの胸に込み上げてくるのである。

それはすこし、いや、かなり、悲しい。危惧すべき心境であるとさえ思う。

話は変わるが、先ほど、いとこから新幹線のチケットが届いた。来月、親戚一同が集まって食事会をするらしい。それで、わざわざぼくのために、東京から広島までの往復チケットを手配してくれたのである。

それは旅行会社を経由して購入された一泊のビジネスホテル付のチケットで――それでも、新幹線のチケットだけをJRで直接購入するより安いのだろうが――ホテルの宿泊券と、周辺地図が同封されていた。

広島駅周辺が載ったその地図を眺めていると、去年の、短いが濃密だった広島での生活が思い出された。これまた、ありありと、思い出された。

あれほど忌み嫌っていた広島にも関わらず、どうして、記憶の中では、漠然と楽しかったように思われた。

無論、馬鹿みたいだよなあと思うのだが、たかだか去年のことが、すでに懐かしく、美しく、それから、”あの頃はよかった”ように思われた。

嫌なことも悲しいことも辛いことも寂しいことも、じくじくと膿んで腐るほどあったはずなのに、しかし、それでも、楽しかったような気がしてしまう。

忘れるのは人間の誇るべき能力のひとつだと言われるが、それにしてもぼくの頭は、あまりにも都合よくできている。記憶の中では、一切が楽しげに輝いている。ばかばかしいほどに、きらきらとその時々が謳歌されている。

だからといって、もはや戻ることはできない。仮に戻ろうとすれば、十中八九、今この瞬間よりも惨めったらしい気持ちを味わうことになるだろう。それはすでに、高校の時分の痛々しい経験によって、身を持って知っているのである。

高校一年だったある日、ぼくは、小学生のときに夢中になったミニ四駆のことを思い出した。それはあまりにも楽しい記憶で、またあんな気持ちになりたいと思って、時を忘れて没頭できる趣味になればと思って、再びミニ四駆を買ってみたのである。

小学生の時分よりもお金もあるし器用でもあるし、すぐに、理想的なミニ四駆が出来上がった。それから、クラスメイトの一人から、家の物置で眠っているというので、ミニ四駆のコースセットをもらってきて、走らせたのだった。

そのコースは、子供の時分であればきっと手足をじたばたさせて気が狂わんばかりだったろう豪華なものだった。そして走らせたミニ四駆は、当たり前に速くて、コースアウトもせず安定していて、とても良くできていた。ミニ四駆を楽しむ環境としては、むしろ小学生のころよりも格段にすばらしく、まったく申し分のないものであった。

それなのに、自分の心の中、その虚しさといったら、ちょっと筆舌には尽くし難いものがあった。

今にして思えば、それはつまるところ、現実逃避でしかなかったのだろう。人間には常に、最適な「とき」と「もの」と「こと」があるのだ。

今も昔も、過去にすがるのは悲しく愚かしく、どうあがいても可能性は未来の中にしかあり得ないのだと思い知ったのは、たぶんそれが最初である。しかし、そうは言っても、折々にほぞを噛むのが人間でもある。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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