歳を取ると共感能力が高まるのか。

  2017/08/22

まったくの自己中だったはずなのに、最近もやもやと憤りを覚えているのがこれ、京都の亀岡で起こった、例の事故である。

これ、と書いたが画像は関係ない。新宿歌舞伎町あたりの裏路地で見つけたショーウィンドウ。ウメズカズオ先生のこのTシャツほしい!パシャリ、というわけ。

それはさておき京都亀岡。他人ごとながら、あほか、こいつらまじであほか、とりあえず2・3回死ねと、根本的に世間や他人に無関心な自分としては意外なほどの怒りを覚えている。

歳のせい、だろうか。

それはともかくこの事件を起こした若者若干18歳。無免許で、友達とわいわいがやがや一晩中そこらを走り回っていて、で、朝がたになって居眠りしていた、って。つくづく救えない。救いようがない。救う方法があるならぜひとも教えていただきたい。

亡くなった方の父親は「もちろん死んで償ってほしい」と言っていたそうだが、まあ、そうとしか言いようがない。しかし、よく言う"死んで償う"とは、いったいどういうことなのだろう。

それは単なる、「死ぬほど悔しい」とかいうような、単なる"すごく"や"むちゃくちゃ"といった形容詞に過ぎないのかもしれない。だって、実際のところ八つ裂きにしたって、気は済まないだろうし、もちろん死んだ者は帰ってこない。

もっとも、そんなことは誰だってわかっている。わかってはいるけれど、やはり率直な気持ちとしては、死ね! となる。それが人間というものだろう。

こういうことを考えると、すぐにデビッドフィンチャー監督、ブラッドピット主演の「セブン」のラストを思い出す。

ある連続殺人犯を追っているブラッドピットが、荒野で、ようやくで犯人を追い詰める。そしてひざまずかせ無抵抗になったところを、逮捕しようとする。しかしそこにデリバリーの車が来て、箱を置いて去っていく。ブラッドピットは爆弾かなにかかと思い恐る恐る開けるのだが、そこには妻の首が入っている。それで、ジーザス!とかファック!とか、そんな言葉とともにうめき声を漏らしていたような、気がする。いや、それよりももっと、苦悩、という言葉がまさにぴったりな場面であった。

そんなブラッドピットに犯人は言う。「おまえの妻を殺す間際、お腹の中の子だけは助けてって言ってたぜ」。それを聞いたブラッドピットは、え? というような顔をする。犯人は言う「なんだ、知らなかったのか」

ブラッドピットは苦悩して、逡巡して、ためらって、涙を流すほど混乱しながらも、しかし、やはり撃ち殺してしまう。

人間は必ずしも理論的でも合理的でもないと思う。

死んで償ってほしい、という言葉の裏を思う。

合理的に考えれば、そいつに強制労働でもさせて、毎月20万くらいの金を死ぬまでもらい続けたほうが"得"に決まっている。そしてその金を生み出すということは、なにがしかの生産活動をするということにほかならず、それは社会にとってのプラスでもあるだろう。

しかし、そんなことはすべてふっ飛ばして、そんなあらゆることはどうでもいいから、とにかく死んで償えという、その感情、心情、激情。

殺されたから死ね、という方程式。

わかりやすすぎる理屈。それじゃあ報復のテロ、憎しみの連鎖にしかならないではないか。人間には理性があるんじゃないのか。

そんなことはわかっている。誰だってわかりきっている。ご飯でもたべながら落ちついて話せば誰だってわかること。

しかし、それでも、死ね、っていう。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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