ゆめゆめの話

最終更新: 2015/07/03

つまらない話の定番といえば夢の話である。そして今日は夢の話をするのである。故に今日の話はつまらないのである。という三段論法を展開。

父が死んだ。それと、祖父さんも。現実でもすでに死んでいるのであるが、夢の中でもう一回くたばっていた。それと、姉かどうか、身内っぽい女性。それからその子供二人。片方は麻呂とかいう名前だった。二人は生まれて間もない、というか生後二日程度であった。

計5人。が、ぼくが居候を始めた実家の部屋の、セミダブルベッドの上に雑多に横たわっていた。

死因が思い出せないが、不可抗力的な、しかし、あとほんのすこしだけ気をつけていれば避けられたに違いないような死因で、だからこそひどくその死が悔やまれた。

ついさきほど、父に冷たくあたった自分の振る舞いを思い出して、それがまた一層、ぼくに後悔の念を突きつけた。

そうして嘔吐するように慟哭しはじめた。ぼくは常常、人はみな死ぬものだとうそぶき達観したような風で生きているくせに、人が死んでしまうというのはどうしようもなく悲しかった。主観的な悲しみと、客観的な悲しいものなのだなァとの間を、堂々巡って泣き続けた。

夢占い云々については調べていないが、なんとなく、精神がよろしくないなあと思う。

なんだか、心ここにあらずという風で、ああ、どこか遠くへ行きたいなあと、ブログのタイトルにあるまじきことを思う。いや、むろん、思うだけであってどこにも行かないが。

最近、絵を描いていると、絵以外のことばかりがやけに濃厚に浮かんでは消えてゆく。そうして、どうしようもなく悲しくなってきて、ほとんど泣きそうになってくる。

喉の奥に、泣き出す前の酸っぱい感じをぎゅうぎゅうと感じながら、描き続ける。

何がどうってわけでもないが、色をのせ、線を引き、していると、それは心のひだをなぞるような行為となって、ぼんやりと、空虚という形が立ち現れる。

空虚であるからして、埋めなければならないのだが、空虚とはきっと埋めるものではないと悟っていたりもする。

だからいま、埋めよう埋めようとしているこの日々は、ただただ空虚であることが確認されるばかりで、しかし、それでも、埋めるしかないじゃないかと、漠然と、憤りが込み上げてくる。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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